――― 『U』 ―――

ESCAPE AND STRUGGLE
                     ―――逃走と闘争―――

 亡者第二階級"悪魔"タナトス。
 ジュデックの網膜にはいまだ測定不能の文字が次々と表示されている。と、言うのも先程変な能力を解放したらしく、推定戦闘能力値が一気に"SSS++"に跳ね上がったのだ。つまり四段階程度能力が増加したといえる。最早、この時点で二人に打つ手無し状態なのだが、二人は全く諦めてはいなかった。むしろ久々に骨のある敵と戦えて嬉しいぐらいだ。その証拠にレイドは冷や汗を垂らしながらも満面の笑顔だ。
「ジュデック! 奴の戦闘能力はどれぐらいだ?!」
「推定能力値トリプルエスプラスプラスだ。手におえないな」
「ヘっ、手におえなくても子供は助ける。そうだろ?」
「当たり前だ」
 猛スピードで突進してくる悪魔を前に二人は左右に散開する。すると先程まで自分達が立っていた石畳が瞬間的に粉々に分解されてしまった。何か重々しい鉄球でも喰らった石畳の破片を見ながらレイドは口笛を吹く。
「すげぇ破壊力! こりゃ一発でも喰らうとヤベェな……!」
「回避した……? たいした反応能力だ」
 悪魔、タナトスは感心したように呟く。視線はレイドを睨みつけている。まんまと作戦に乗ってくれたようだ。
「(よし、来い! こっちにきやがれ!)」
 挑発と言わんばかりに十字架を投げつけるレイド。勿論、タナトスは眼前で投じられた銀十字を粉々に"盾"で破壊している。二人まとめて相手にしようとも思ったが面倒臭い。まずは標的を一人に絞って――。
 絞られたのはレイドだ。大柄な神父の方へ向き直るとタナトスは右腕を振り上げた。
 ――何か仕掛けてくる。
「天より舞い降りし神の疾風。全てを切り裂く刃となりて我が敵を切り裂け」
「呪文……! 魔術は苦手だぜ!」
 タナトスの詠唱が終わるより早くレイドはその悪魔に接近していた。当たらないとは分かっているが正面に鋭い拳を突き出す。タナトスは軽く身体を捻ってその一撃を回避すると、回転しながらレイドの背後へと一瞬で回った。レイド自身もその動きに必死に足を回転させる。
「せっかちな奴は早死にするぞ。招来、風界の覇者」
「チィッ!」
 ――鋭い手刀だった。レイドは腰を思いっきり折りまげ、姿勢を反らして必殺の一撃を何とか回避した。その直後、先程悪魔の掌が薙ぎ払った道に沿って、暴風とも呼べる衝撃の波が彼に襲い掛かる。軽く五メートル程度飛ばされ、石の壁に叩きつけられ倒れる。思わず背骨が折れてしまいそうな衝撃だ。全身の感覚が痛みに支配されている。
「ぐ……っ」
「やはりヒューマンはヒューマンか。とんだ期待ハズレだったな」
 レイドは何とか痛みを堪えながら立ち上がった。だがその足元はおぼつかず、よろよろと頼りないステップを踏む。タナトスは再度右腕を掲げた。
「地より沸き出でし紅蓮の業火。我が敵を焼き尽くさん」
「また魔術かよ!」
 タナトスの掌に真っ赤な球体、いや、炎の塊が召喚される。レイドはその火球を睨みつけながら苦笑した。
「しゃーねぇ、やるしかねぇな、アレ」
 レイドは拳に力を込める。姿勢を低くすると石畳を一気に蹴り飛ばした。
 ――神速。
 その域まで達したレイドのスピードはとても常人に補足できるものではなかった――常人には。
「早いが、突進だけでは私には勝てない。招来、炎の破壊神」
「……!」
 レイドは一瞬焦るが決してスピードを落とすような事はしない。タナトスがレイドの目の前に突き出した掌を、咄嗟に床を蹴る事で方向転換、そして回避する事ができた。頭上、タナトスの掌では凄まじい大爆発が巻き起こっている。あんな腕に捕まれたらいくらタフで名高いレイドとて、ひとたまりもなかっただろう。石畳の上を滑りながらもタナトスの後方へ回る事に成功したレイド。ようやくスピードがおさまってきた所で再び床を蹴り、憎たらしい悪魔の背中に渾身の一撃を沈める。タナトスもまさか人間に一撃を喰らうなどとは思っていなかったらしく、意外そうな表情で吹き飛んだ。先程のレイドと同じように硬い壁に叩きつけられると、その場に平伏す。
「ヘっ、あんまり舐めんじゃねぇよ」
 親指を床に向けて振り上げる。地獄に落ちろ、そう言った意味を含めた動作だ。だが、その期待とは裏腹にタナトスは立ち上がった。
「フフ、久々に楽しめそうだ。まさか"闇の力"を使うヒューマンが居たとは」
「何?」
 渾身の一撃を決めたはずだ。確かに手応えもあった。背骨が一気に粉々になっていく感触もまだ拳に残っている。なぜ立てる? 普通なら死んでいるはずだ。この"奥の手"を喰らって死ななかった悪魔など一匹も居ない。だが奴は、タナトスは確かに立ち上がってこちらを見ている。
「笑いが止まらないな。さあ、続きを楽しもうじゃないか」
「誰が楽しむかよ!」
 レイドは笑っていたが内心かなり焦っていた。何発打ち込めば死ぬか。仮にも相手は戦闘能力"SSS++"と判定された敵だ。まともに殺りあって勝てる相手じゃ無い事は分かっている。だから先程も背後から"奥の手"を使ってやった。同じ手は恐らく絶対に喰らわない相手だ。
 ――どうする?
 レイドの不安とは裏腹に、闇より深く低い声が轟く。
[ミディアンズ四十パーセント活性化。戦闘モードにて再起動――]
 気が遠くなる衝撃。いや、一瞬確かに意識が吹っ飛んだ。思わず床に倒れこむレイド。
 ――何なんだコイツは!
 勝てない。この瞬間そう悟ったレイド。逃げるにも恐らくは逃げれはしないだろう。なら戦うしかないのか? 勝てないと分かっていて?
「畜生、いつも崖っぷち役は俺なんだよなぁ……」
 レイドは半ば諦めた表情で立ち上がり、タナトスを見る。もはやあの悪魔はヒトの形を捨てていた。右腕は無数の銃身へと変貌し、左腕の爪は鋭く伸び、目は真っ赤に染まり、そこから血の涙でも流すかのように一筋の線が頬を伝っている。そして真紅の長髪はまるで蛇のようにうねり、おぞましい黒い光を放っていた。
 化け物。それ以外に表現方法はない。
 レイドは恐怖に震える両腕を必死で制御しようとする。タナトスは当然、そんな準備を整わせるような事はしない。変貌した右腕の無数の銃口は真っ直ぐにレイドを狙っている。
「さあ、もう一度"闇の力"を見せてみろ、ヒューマン」
「そんなに見たいんなら、もう一回見せてやるよ!」
 殺意剥き出しの銃口どもは激しい咆哮を連発する。レイドはその場から動かず拳に力を込める。風、殺気、闘気……あらゆる気の流れを掌に集中させるイメージを頭に描く。そして、レイドは一気に拳を突き出した。
「喰らいやがれェっ!」
 どす黒い波動がレイドの腕から放たれる。その波動は迫り来る銃弾を押しのけ、嬉しそうに唇を歪めるタナトス目掛けて突っ込んだ。
 ――直後、大爆発。
 爆煙が巻き起こり、レイドの視界を奪い尽くした。これだけの破壊力を生み出す力を使ったのは久しぶりだ。疲労もあって再び膝をついた。
「はぁ、はぁ……やったか?」
「ダークブリンガーの力。得と見せてもらった」
「まだ生きてやがるのか!」
 レイドは唖然とする。煙の中に黒い影が確かに存在しているのだ。普通ではない異形のモノが確かに存在しているのだ。
 ――まだ生きている? 全気力をぶつけても死なないと言うのか?
 レイドは絶望感の中、すっかり忘れていた作戦とやらを思い出す。自分が時間を稼いでいる間にジュデックが子供達を救出すると言うものだ。生憎と子供達が捕らえられている檻の方は煙幕が張っていて全く見えない。ならば別の方法で確認するまでだと、すぐさま無線機の電源を入れる。耳障りなノイズがかかるが、どうやら無事に通じたようだ。
「ジュデック、そっちは大丈夫か!」
『ああ。無事に保護完了だ。お前こそ無事か?』
「おう、まあまあってトコだな」
 嘘だ。全然無事じゃない。助けてくれ。
 とも言おうと思ったのだが、ジュデックは子供を連れている。助けに来れるはずが無い。その危険な状況真っ只中の相棒の状態を察知したかのようにジュデックは尋ねる。
『本当に大丈夫なのか? 相手はトリプルエスプラスプラスだぞ?』
「だから大丈夫だって言ってるだろうが! お前はさっさと逃げやがれ!」
 レイドは怒鳴る。小型イヤホンの向こうに心配そうな表情のジュデックが想像できる。
 ――今は心配かけてる場合じゃねぇ。
 レイドは徐々に晴れていく煙を見ながらタナトスの姿を探した。一瞬目を離した隙に影も形も消えうせているのだ。だが、このハッキリとした肌を刺激する殺気だけは今もなお健在である。無線機の電源をOFFにするとレイドは呟く。
「ちっ、どこに行きやがった?」
「ここだ。どこを見ている」
 ――背後。
 また不意打ちかと思いつつ裏拳を突き出すレイド。その拳が回避された頃にはタナトスは姿勢を低くしている。レイドはまだ十分に対応可能な蹴り技に切り替える。高く上げられた脚線。タナトスの右腕、無数の銃口がレイドの頭蓋を狙っている時、既にその上げられた足は渾身の力を込めて悪魔の脳天を狙い、振り下ろされていた。砕けたのはタナトスの脳天ではない。その下にあった石畳だ。後退したタナトスの右腕は相変わらずレイドの頭部をポイントしている。
 ――マズい。
「や、やべッ!」
「――さらばだ」
 轟音が立て続けに響き渡る。だがレイドに銃弾は一発も当たっていない。すんでの所で上空へ舞い上がり、回避したのだ。だが問題はここからだ。空中では逃げ場は無い。今度こそ本気でマズい。
「全く、ちょこまかとよく逃げ回る男だ。だが、次で最後だ」
「そうとも限らねぇぜ!」
 不意に二百余りの銃弾がタナトスの右腕を襲う。あまりにも唐突でタナトスも意外だと言う表情を浮かべている。その視界に飛び込んできたのは先程見逃した痩せ型の神父。
 ――ジュデックだった。
「ヘっ! ナイスフォロー、ジュデック!」
 着地してレイドが言う。するとジュデックはレイドの頭を一発殴った。
「無理無茶無謀! だから逃げろと言ったんだ! これだから君って奴は」
「おいおい! 俺を責めるのは後からにしてくれ! 今はこいつから逃げるのが先だろ!」
「ああ、そうだったな」
「ほう、計算外だ。逃げたと思っていたが」
 タナトスは二百の銃弾を物ともしていない表情でたっていた。まるでダメージになっていないのか?
「相棒の危機はすぐに分かる。なら助けてやるのが当然じゃないか」
「助ける、か。やはりヒューマンは分からんな。それを更に助ける"奴"の考えも分からんが」
「とりあえず、この場は退かせてもらうぞ」
「あばよ!」
「逃がすとでも……」
 タナトスの右腕が即座に反応する。今にも逃走しそうな二人組みを狙うと無数の発砲を繰り返した。レイドはジュデックの前に立ち、両手を広げる。するとレイドの目の前に黒い壁が出現し、銃弾の進行を全て防いでいた。
「ジュデック!」
「撤退用兵器作動」
 ジュデックの右腕の側面がせり上がる。そこから顔を覗かせた砲台からミサイルのようなものが真っ白な煙と共に発射された。そのミサイルのようなものはタナトスを狙わず、彼の足元に猛スピードで落ちた。実はこのミサイル、ただの煙幕。目暗ましに過ぎない。だが、上手くタナトスの視界を塞ぐ事には成功したようだ。
「おっし! 逃げるぞ!」
「ああ」
 二人は急いで部屋を抜け出し、宮殿内部を走り、外へ出る。どうやら追ってくる気配はないらしい。
「ふう」
 レイドは一息ついてその場に座り込んだ。あれだけの相手と戦っていたのだ。神経の隅から隅まで使いきって疲れてしまった。ジュデックはそんな相棒を見ながらため息をついた。
「とりあえず、教会へ一旦戻るぞ。先程とった奴のデーターを保存しにいかなければならないからな」
「了解。んじゃまあ、教会に行くとするか」
 レイドは再び立ち上がる。そして歩き始めるがすぐに止まった。気になる事が一つあったのだ。
「おいジュデック。そーいや子供達はどうしたんだ?」
「彼等ならさっきやっと辿り着いた教会に保護してもらったよ。心配ない」
「そっか。良かったな」
「ああ」
 心配事の無くなったレイドの歩調は軽やかである。ジュデックはしきりに背後を気にしているが、どうやら本当に追ってこないようだ。機械化された網膜は何の気配も感知しないし、姿も見せない。軽やかな歩調で先を進むレイド。だが、その軽やかな動きとは裏腹に腸は煮えくり返っていた。
 そして、呟く。
「次は、勝つ」

  ◇

 ――六月十二日 シェハキム教会本部 PM 7:27 ――

「そうですかぁ、タナトスと名乗る悪魔が」
「はい。総合戦闘能力は見ての通りです」
 暗い部屋。教会内部の映像観察室である。ジュデックの網膜から採取したデーターをミルフィーユは確認していた。非常に興味深い悪魔である。平均総合戦闘能力予想"SS++"今まで見てきた亡者第二階級の中でも異常なまでの強さだ。何らかの力を解放した途端、測定不能の域まで達した事から相当の力の持ち主だと判断できる。内心、かなり興奮しているのだが表には出さず、相変わらずのほほんとした笑顔でジュデックに尋ねた。
「これは、素晴らしいですねぇ。ここの神父全員でかかっても勝てるかどうか」
「はい。僕もそう思います。と言っては何なんですが、僕の――」
 ジュデックがミルフィーユに提案を持ちかけようとすると部屋の扉が勢い良く開いた。ノックもせず部屋に入ってきた無礼者は勿論レイドだった。
「レイド。どうした」
「遅いぜ! 何やってんだよジュデック!」
「ああ。すまない。今やっと報告が終わったところだ」
「まあまあ、レイド君も座って下さい」
 ミルフィーユは部下に椅子を差し出した。その椅子にどかっと座るとレイドは不満げにミルフィーユを見る。
「で、どうなんだよ? 対抗策とかねぇのか?」
「まあまあ。この悪魔は恐らく二年前に南の聖王国で起こった殺害事件の犯人の一人です。確か〜……資料で見た事がありますよ」
 ミルフィーユは過去に悪魔が起こした全ての事件の記録をすぐそばの引き出しから取り出す。大きな封筒に入れられていた分厚い紙の束。とてもじゃないがレイドには読めない数の事件記録だ。
「えーっとですねぇ、これですね」
 ミルフィーユはその山のような資料の中から五枚ほどの資料を取り出す。そしてそれをジュデックに渡した。
「これは膨大な文字の数ですね?」
「ええ。まあ大まかに説明しますと〜聖王国の女神と呼ばれたマリエル様が悪魔五人組に殺害されたと言う事件です。まあ、本物の悪魔は二人だけで、あとの三人は人間から何らかの方法で悪魔へと転移した人達です。その後、彼等は行方をくらませていたのですが〜」
「が? 何です?」
 ジュデックはやっと資料を一枚めくったところで尋ねた。ミルフィーユの話が止まったからだ。レイドは呑気にまるで話を聞き流しているかのようにテーブルの上に置かれていたコーヒーをすすっている。
「最近になって、その五人組のうち三人がある神父によって殺されたのです」
「ある、神父?」
 ジュデックはすでに資料から目を離している。レイドも少し興が乗ったのかミルフィーユを見た。
「ええ。ルーベンスという神父です。あのマルクト教会"セラフィム"のスタッフの一人ですよ〜」
「セラフィム……まさかあの特務機関ですか!」
「聞いた事があるぜ。罪人を追い、闇の中で裁きを与える最も神に近い機関。噂だと思ってたが、本当だったんだな」
 レイドは静かにカップをテーブルの上に置きながら言う。ジュデックも資料の文字の中にセラフィムと言う文字を見つけ見直す。
 "特務機関セラフィム"
 悪魔や吸血鬼、妖魔や屍どもを駆逐する専門家の集まりである機関。現在の特務スタッフは九人。ルーベンスはその内の一人だと言うのだ。"化け物"の異名で知られる彼は資料を見る限り、現在ラキアへ送還されたらしい。
 ――何故だ。
「つまり、マリエル様を殺した犯人は残り二人と言う訳ですね?」
「ええ。そうなりますねぇ」
 ミルフィーユは頷くと今度は別の封筒を引き出しから取り出す。そして事件記録とその封筒を引き換えにジュデックに渡した。早速ジュデックは紙の束を封筒の中からひきだす。特務機関セラフィムの特務スタッフについての資料らしい。またこれも山のような資料数である。レイドは思わずため息をついた。
「すげぇな、セラフィムって」
「ああ、予想以上だよ。これを見てみろ」
 ジュデックは一枚の資料をレイドに渡した。

  『ルーベンス』   コード"ミディアン"
 身長・166cm。
 体重・52kg。
 性別・男。
 年齢・不明。
 総合戦闘力評価・A−。

 レイドはよくこんな奴が特務スタッフで居られるなと思っていた。自分の総合戦闘力評価のA+の方が明らかに上だ。ジュデックは恐らくこのせっかちな相棒がその総合戦闘力評価のところまでしか読んでないと考え、言葉を付け足した。
「レイド。文は最後まで読め」
「ん? ああ」
 レイドは更に下へと視線を送る。
 『……ただし。"ミディアンズ"解放時の総合戦闘能力評価はS++』
 ――"S++"だと!
 レイドは思わず大声を上げそうになるが抑えた。"S++"の数値をたたき出せる人間などそうはいない。しかも何かが引っ掛かっていた。
 ――"ミディアンズ"?
 そう言えばタナトスと名乗るあの悪魔ももそんな事を言っていた気がする。まさかとは思ったが、そのまさかは正解だった。ジュデックの顔を見るレイド。彼は静かに頷いていた。
「彼は悪魔だ。それも人間を守る、ね」
「悪魔が教会の犬だって言うのかよ?」
「ああ。そのようだ」
 ジュデックはまた一枚の資料を手渡した。今度は彼の今までの事件解決記録らしい。まずは最後辺り、近頃の事件を見てみる。
「黒の樹海でマリエル殺しのバッカス・ルドルファー、およびディーズ・フォーガスを殲滅」
 黒の樹海とはここ、シェハキムからすぐ南に広がる大樹海の事だ。亡者もうろついていて、あまり誰も近付こうとはしない場所である。レイドはその文字の更に上を見る。
「ゼブルでマリエル殺しの一人、エリエル・ドルセンを殲滅……か。確かにスゲェじゃねぇか」
「他にも彼が解決した事件は百件余りある。活躍は素晴らしいよ」
「そこでぇ、大変申し上げにくいのですが」
「え? 何でしょう?」
 すぐさま敬語に切り替えたジュデックがミルフィーユを見る。すると彼女は相変わらずの和み系の笑顔を振りまいた。
「マルクトのエリス・エドワード様とお話をしたいのです。護衛をお任せできるでしょうかぁ?」
「護衛って、お前、一人でも十分亡者を殲滅できる力を、持ってるじゃねぇか」
 レイドは呆れながら言う。ジュデックは少し、と言うか大分怒気の含まれた声で相棒を注意する。
「もう少し敬語を使え! 敬語を」
「うるせぇよ」
「まあまあ」
 ミルフィーユは二人をなだめる。この二人は仲がいいぶん、いつも喧嘩になりそうだからいけない。シェハキム教会の大聖母は微笑みながらも実は少々呆れていた。ジュデックは机からいつの間にか乗り出していた身を椅子の上に落ち着けると、照れ笑いを浮かべながらミルフィーユを見た。
「ええ。勿論構いません。ただ、先程言いかけたんですが僕の強化をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「強化、と申しますと?」
「お前、それ以上強くなってどうするよ」
 レイドは横目で相棒を見る。確かに彼は通常では十分すぎるほどの戦闘力を持っている。まともにやりあったら勝てるかどうかすらも危うい。まあ、まともにやりあったらの話だが。その彼が更に強くなりたいというのだ。レイドにしたら、大よその理由は検討がついている。あの悪魔、タナトスの脅威を目の当たりにすれば考えたくもなる事だ。ジュデックはレイドの予想通りの説明をはじめた。
「タナトスの能力に追いつくにはこの内装ガトリングではまず勝てません。撤退用兵器は取り外しても構いませんので強化してほしいんです」
「……分かりました。機械課と話をつけておきますねぇ」
 ミルフィーユは飛び切りの笑顔を浮かべた。とりあえず出発は強化や準備で明後日になるらしい。これならレイド自身も十分に羽を伸ばせそうだ。と、休日を遊ぶ気満々、レイドの浮かれ気分をぶち壊しに神父が資料室へと入ってきた。
「レイド殿! あっ! これは失礼致しましたっ! ミルフィーユ様!」
「あらあらぁ、貴方は確か……」
「ハヤカワ・ハヤテでござる。いやぁ、噂通りお美しいですなぁ」
 いきなり部屋に飛び込んできた神父…と言うより侍はミルフィーユを見るやいな、でれでれしながら誉め始めた。顔の筋肉が緩みきったその表情からは、"戦鬼"と恐れられている侍を思い描くには少々難しい。
 レイドが冷たい視線でハヤテを見る。どうやら顔見知りらしい。
「ハヤテ、何か用かよ?」
「おお、そうであった。レイド。事件で御座る」
「また豪華客船とかじゃねぇよな?」
 レイドは適当に言ってみる。するとハヤテは惜しいと言う表情でレイドを見ていた。
「豪華客船ではござらん。豪華旅客機でござる」
「海から空かよ!」
 思わず椅子からずり落ちるレイド。ハヤテは懐から一枚の紙っきれを取り出し、レイドの目の前に突き出した。
「何々? レイド・ジルヴァーナおよびハヤカワ・ハヤテ両名は旅客機をハイジャックした犯人を速やかに逮捕、ただし、犯人が亡者の場合即刻殲滅せよ。なお、犠牲は一人もだしてはならない……っておい」
「ごちゃごちゃいうな。行くでござるよ」
 ハヤテは書いてある事をそのまま復唱したレイドを見て頷く。顎が外れそうになるまで口を大きく開けて驚愕するレイド。ジュデックはふと疑問点をハヤテに問い掛けた。
「移動手段はどうするんだ? 相手は飛行機だろう?」
「目には目を、歯に歯を、旅客機には旅客機をでござる」
「まさか、こちらも旅客機で突入をかけるつもりか?」
「ご名答でござる」
 ハヤテは力強く頷いた。レイドはすでに魂の抜けた人形となって床に転がっている。
「休日が……折角の休日が……」
「ええい! レイド! キサマそれでも男か! さっさと行くでござる!」
 ハヤテに引きずられながら部屋を出て行くレイド。扉が静かに閉まると残った二人は顔を見合わせる。
「強化、はじめましょうかぁ」
「はい、お願いします」

  ◇

 ――六月十三日 飛行艇ツヴァイレライ 作戦室 AM 0:24――

「目標の旅客機補足まであと一時間はかかるらしいでござる。ここで突入方法でござるが」
「そうだな。ここから言うなりゃ、船体の上にがっちりくっついてってのはどうだ」
 事件が起こっている真っ只中の旅客機の設計図を指してレイドは言う。船底を旅客機の船体の上にくっ付けて侵入、と言う手も良いのだが問題点があった。
 ――人質を殺されかねない。
 犯人一人の逮捕だけならこの作戦でもいいが、何とか気付かれないようにくっ付かなければならない。そんな事はまず不可能だ。この巨大飛行艇ツヴァイレライ、そんな細かな動きをこなすには多少大きすぎる。レイドは自分の発言が馬鹿だった事に少ししてから気付き訂正する。
「ああ、この作戦は無理だったな、確か」
「そうでござる。しかし無茶な作戦でござるなぁ」
「だよなぁ」
 確かに無茶な作戦である。
 犠牲を一人もださないで成し遂げられる作戦ではない。せめて、向こうの船内でいざこざが起こっていれば話は別なのだが。レイドがそんなとても有り得ない想像をしていると、作戦室のドアを開いて通信係の神父が入ってきた。ハヤテはその神父の手に握られた小型無線機を見ると大体の事を理解していた。
「教会本部から連絡でござるか?」
「はい。何でも良い知らせらしいです」
「とりあえず、でよう」
 ハヤテは受話器を受け取ると耳に近づける。すると受話器からはおっとりとした口調の女の声が聞こえてきた。明らかにミルフィーユだ。
『ハヤテさんですかぁ? 一つ、良い知らせがあります』
「良い知らせ? 何でしょうか?」
『旅客機のパイロットから命懸けの通信が入りましてですねぇ、どうやらセラフィムの特務スタッフがその旅客機に丁度乗り合わせてるらしいんです〜』
「セラフィムの?」
『こちらでも乗客リストで確認済みです〜』
 ハヤテは思わず驚きに受話器を落としそうになるが辛うじてしっかりと掴んでいた。レイドがいつに無く真面目な表情でハヤテの横顔を見ていた。
「はっ。分かったでござる……アーメン」
 ハヤテは加護の呪文を呟くと通信機の電源を切った。レイドはすぐさまその深刻な横顔に声をかける。
「で、何だって?」
「旅客機にセラフィムの特務スタッフが"たまたま"乗り合わせているらしいでござる」
「ああ、それは分かった。で、俺らはどうすんだよ?」
「任務の変更でござる。セラフィムの特務スタッフがハイジャック犯の行動を抑えてから、我々は旅客機の人質の救助でござる」
「ま、相手が亡者だった場合はそっちの方が楽だわな」
 レイドは椅子に座る。ハヤテは通信係の神父に下がるように命じると
自分もまた椅子に座った。
「まあ、セラフィムが関与してくるとなると、一時間以内に決着はつきそうでござるな」
「そうだな。俺ら出番無しって奴?」
 作戦会議室に虚しさと沈黙が訪れる。ここで、場面は旅客機内へと移る。

 ――六月十三日  旅客機 客席 AM 0:35 ――

「……つくづくツイてないなぁ、ワイら」
 神父らしき男が上の荷物置きに堂々と置かれている黒の棺桶を見ながら呟く。その隣で尼僧服の少女はため息混じりに同意した。
「そうですね」
「はいはい元気だして! ファイトだよー!」
 元気良く腕を振り上げたのは小柄でツインテールの可愛い少女だった。そんな彼女の口を黒の僧衣に身を包んだ神父と尼僧服のシスターが慌てて塞ぐ。そして押さえつけて腕を下ろさせた。
 ――どうやらハイジャック犯はこっちに来ないらしい。
 先程の大声に気付かなかった奴等もどうかと思うが、この危機的状況の中でこれだけ元気な少女もどうかと思う。わくわくと輝くその翡翠の瞳はあのハイジャック犯どもをぶちのめす幻想を見ている輝きだ。
 相手は三体の亡者。
 一人一殺の方法も良かったのだが、生憎、尼僧服の少女、リプレスはあまり戦いが得意ではない。とりあえず自分……ライザと、この隣ではしゃぐ少女、マリアは戦闘慣れしているので問題はない。
 現在、この客席部分に居る吸血鬼は一匹だけ。尖った耳に鋭い牙、悪魔と大差ない外見だが彼等は亡者第三階級"吸血鬼"である。能力的にも悪魔より少々弱点が多いと言うだけで別に力量的に劣る所は何もない。つまりは弱点の多い悪魔とでも考えればよいのだろうか。彼等にとって今そんな事はどうでも良かった。問題はどうやって犠牲を出さずに彼等を倒すかにかかっている。ライザは懐にある旧式回転拳銃と腰に提げている短銃を確認する。両方とも銃弾は装填されている。いつでも撃てる状況だ。
「とりあえず、そろそろ行動してみよか。これ以上、皆を危険な目に合わすわけにもイカンやろ」
「そうだね!」
「だからお前はもうちと静かにせい!」
「まあまあ、ところであとの二体の吸血鬼はどこへ行ったのでしょうか?」
 リプレスはふと疑問に思った事を口に出した。恐らくはメインの動力炉と操縦室に一人ずつ配置しているハズだ。ライザはリプレスの問いには答えずマリアに耳打ちする。するとマリアは満面の笑顔で頷いた。
「了解、まっかせてよ!」
「歌姫はん。ちょいとあそこの吸血鬼呼んで欲しいんやけど」
「え? あ、はい」
 リプレスはそろそろと慎重に吸血鬼の姿を確認した。そして小さな声で呟く。
「あの〜〜すみませ〜ん……」
「何だ!」
 吸血鬼はすぐさまリプレスに気付いて近寄ってきた。どうすれば良いものかとあたふたするリプレスにライザの小声が飛ぶ。
「(歌姫はんはしばらく黙っとき。あとはワイらの仕事や)」
「(は、はい!)」
「どうした」
 吸血鬼がリプレスの隣にたった。まず彼の注意が自分からそがれたのは確かだ。ライザは前かがみになって苦しそうにしている。勿論演技。
「あたたた! 腹痛い腹! トイレ行ってもええか!」
「生憎、乗客は席を立たせるなって命令でね。あの世で行ってきな」
 吸血鬼は腰に提げていた銃をライザの頭部に突きつけた。しかし冷や汗を流したのはライザではなく吸血鬼の方だった。銃口、しかもかなりの大きさだ。それがアームガントレットだと理解するのにそう時間はかからなかった。しかしそれを扱っている人間に対しては確かな驚きを示していた。この重い重い手甲を振り上げて、銃口をこちらに向けているのは、黒衣の神父の更に奥の席に座っている小柄な少女ではないか。まさかシスターだとでも言うのだろうか? 僧衣も着用していないくせに?
「動かないで! 喋っても撃つよ!」
「な……」
 人間に命令されている? この俺が?
 吸血鬼は何よりもその事に激怒した。思わずこの娘に飛び掛り、首を引きちぎろうともした。しかし、そう考えている頃には心臓に六発の銀製銃弾をぶち込まれ絶命している。一瞬。ほんの一瞬だ。呆気なく床に崩れ落ちると彼が動く事は二度と無かった。ライザの脇の下からは旧式回転拳銃の銃口が蒼白い硝煙を吐き出しながら顔を覗かせている。
マリアはガントレットの銃口を仕舞うと恐る恐るライザに尋ねた。
「上手くいった、よねぇ?」
「ああ。上手い事いったな。歌姫はんはここに居ってくれ。ワイらは吸血鬼を消去してくるわ。あいつらもアホとちゃう、銃声には気づいたやろ」
 どよめく乗客たちを横目に、ライザは手早くシリンダーを交換すると腰から短銃も抜き取った。そして席から立ち上がる。目指すは動力部。勿論、マリアはもう一体の吸血鬼の居るであろう操縦室を目指す。リプレスはお留守番、となるのだがここで思わぬ問題が発生した。
「わ、私も行きます!」
「はぁ?」
「無茶だよ、リプレスちゃん」
 マリアが止める。が、リプレスは既に席を立っていた。ライザは後頭部をかきむしって叫ぶ。
「あーもう! 聞き分けのない嬢ちゃんやなぁ……しゃあない、行くで」
「は、はい!」
 これ以上彼女に何を言っても無駄だと判断したライザは、仕方が無くリプレスを連れて行く事にした。マリアは既に前の操縦室へと向かっている。自分達が目指すのは船体の後方部にあるメインの動力炉だ。
 しかし一体、何故彼等はこの旅客機をハイジャックしたのだろうか?
 それだけがずっと引っ掛かっていた。
 ――動力部に居る吸血鬼に聞いてみるか。
 ライザはそんな気楽な考えで動力室の扉を開いた。次の瞬間、ライザの構えたリボルバーは下から振り上げられた蹴りで手から離れ、続け様に男の顔面に二発の蹴りが決まる。その凄まじい衝撃に意識が遠のきそうになるが何とか踏ん張って見せる。目標が定まらぬままに短銃をおもむろに振り上げ、発砲。撃ち出された十三発の弾丸は命中する事こそ無かったが、吸血鬼を後退させる能力は発揮したようだ。どうやら口の中を切ったらしい。血の味で舌が満たされていく。そのたまった血を吐き出しながらライザはようやく標的の姿を確認する事が出来た。
「よう、やってくれるやないけ。ヴァンパイア」
「まさか教会の人間が乗っているとはな。誤算だったぜ」
 若い吸血鬼は相変わらず憎々しくライザを睨んだまま喋った。ライザは短銃のマガジンを床に落とし、ポケットから新しいマガジンを取り出す。だが、短銃にそれを装填しようとはしない。リプレスはライザの後ろで隠れるようにしてその状況を見ていた。
「率直に聞くで。オドレ等の目的は何や。身代金とかじゃあないよな」
「まあ、死ぬ前に教えてやるのも良いだろう。この旅客機を、マルクトへぶち落とすのさ」
「マルクト、やて?」
 ライザは大して驚いた様子も無く吸血鬼に問う。リプレスは内心ハラハラドキドキしながら二人のやり取りを見ていた。
「ああその通りだ。あの国は教会組織が最も発達しているからな。潰しておく必要があるのさ」
「成程、ちゃちい理由やな」
「な、何だと!」
 驚くヴァンパイアを横目にライザは自信満々に言い放った。
「ワイやったら、ラキアに落とすで。何しろ、あそこには厄介な奴が一人居るからなぁ」
 ライザは任務で自分の故郷に来ていた人物の事を思い出す。人間を守ると言い、馬鹿みたいに正直で、ヒトよりヒトらしい悪魔の事を。吸血鬼は更にライザを睨みつける。どうやら殺る気満々らしい。
「訳の分からん奴だ。まあいい! 地獄へ落ちろ!」
「お先にどうぞや! 譲り合ってこそヒトの道!」
 ライザは突進してきた吸血鬼に向かって、握っていたマガジンを放り投げる。そしてしっかりと空中で回転するマガジンに狙いを定め、リボルバーでソレを撃ち抜く。弾殻内の火薬がその銃撃によって爆発、七発の連鎖を起こす。空中で見事な紅蓮の輝きを見せた弾倉は吸血鬼の視界を奪うには丁度良かった。旧式回転拳銃に残った五発の銃弾。ライザはしっかりと吸血鬼の心臓を狙うと不敵な笑みを溢した。
「そや、お前はヒトじゃなかったんやな。譲り合いの精神は分からんか」
「ウオオオオ!」
 巨大な咆哮と吸血鬼の心臓が撃ちぬかれたのはほぼ同時だった。脆く崩れ落ちると、吸血鬼は細かな痙攣を起こしていた。まだ生きている。タフな奴だ。
「トドメや」
「ら、ライザさ……「ストップ」
 リプレスが何か言おうとするのをライザは止めた。大体彼女が何を言おうとしているのかは予想がつく。
「歌姫はん。現実を良く見なアカンで。殺さな、こっちが殺されるんや。死から目をそらすな。死はいつも自分の側にある。アーメンや」
 新しい弾倉を装填された短銃は無慈悲な咆哮を三つ、上げた。吸血鬼の痙攣も治まり、ようやく彼は絶命した。短銃を腰に収めるとライザは身をひるがえし、部屋を出て行った。リプレスはしばらくその場にたたずんで肩を落としていた。が、少しすると吸血鬼の死体に近寄って、ひざまずき、その冷たくなった手をきゅっと握り締める。
「……御免なさい。私はシスターじゃないけど、貴方達の冥福を祈ります……アーメン」
 彼女のこの祈りは無駄な祈りなのかもしれない。だが、彼女は祈らずにはいられない。
 何かが死ぬと言う事はとても悲しい事だから。
 それが目の前で起こると言う事は更に悲しい事だから。
 だから、彼女は祈らずにはいられないのだ。
「さよなら、吸血鬼さん」
 リプレスは立ち上がり部屋を後にした。

 一方、操縦室のマリアは……
「さてと。動かないでね。動くと撃つよ」
「あんだテメェ!」
 いきなり操縦室の扉を蹴破って侵入してきた小柄な少女に、吸血鬼は物凄い剣幕で怒りをあらわにしていた。だが、少女、マリアに怯む様子は無い。ガントレットを振り上げたままじっと吸血鬼を見つめていた。
「操縦士を解放してくれたら許しますよ〜! 離してくださ〜い」
「うるせぇ奴だ、とっとと死にやがれ!」
 吸血鬼はいきなりマリアに飛び掛った。勿論、先程同様、マリアに怯む様子は無い。冷静に十字架ガントレットの先端、開いた所から覗いた大径口の銃口は吸血鬼の頭部を正確にポイントする。化け物は思わず身を退いてしまいそうになるが、吸血鬼の方がひるむ訳には行かない。そのまま直進してきたヴァンパイアにマリアはとことん呆れていた。
「それじゃあ、撃つからね!」
「シャアアア!」
 吸血鬼はなんとリストバンドの下から隠しナイフと取り出した。それを時間稼ぎの為にマリアに向かって投げつける。彼の怪力から投じられたナイフは真っ直ぐにマリアの頭部を狙っていた。思わず右腕のガントレットを盾に、前にかざすマリア。この手甲は特殊性の金属でできており、並大抵の衝撃はまず通らないはずだ。案の定、ガントレットに弾かれたナイフは木製の床に突き刺さった。マリアはすかさず左腕を振り上げる。しかし吸血鬼は自分の目の前。これでは撃っても命中しないだろう。となると戦術を切り替えるしか方法はない。
「死ねぇぇぇ!」
「まだまだ!」
 振り下ろされた手刀を右腕のガントレットで受け止めると左腕が大きく引き下がった。
 ――力をためている!
 腰をバネに勢い良く突き出された左腕は確かに吸血鬼の腹部を捕らえた。思いっきり憎い亡者の身体を殴り飛ばしてやるマリア。実は彼女、射撃より格闘術の方に自信があったりするのだとか。何かの計器を背後に叩きつけられた吸血鬼。気付いた頃には銃口が目の前で無慈悲に自分を見下ろしている。更に上では小生意気な人間の娘が自分を見下している。
「チェックメイト」
「ヘッ、まだ終わってねぇぜ。お嬢ちゃん!」
 吸血鬼の大きく見開かれた真紅の瞳に諦めの二文字は無かった。むしろ不敵な色を放ちつつある。マリアのガントレットが爆光をほとばしらせる一瞬前に吸血鬼の姿は既に計器の上から消えていた。
マリアが振り向いた時にはパイロットの一人を人質にとって息を荒くしている。パイロットの首元には鈍く光る短刀。どこに隠し持っていたのだ。
「はぁ……はぁ……動くんじゃねぇぞ、シスター」
「困ったです。予想外の展開だよ〜」
 確かに先程の攻撃で確実に息の根を止めたと思ったのだが、まさか吸血鬼がこの期に及んで"加速"を使って人質をとるとまでは予想出来なかったらしい。マリアは構えていた左腕を下ろした。
「そうだ、おい! そこのパイロット! スピードをあげやがれ!」
 吸血鬼は一人のパイロットに命じた。マリアは瞳だけをきょろきょろ動かし、辺りを観察している。レーダーや計器を見てみると、どうやら目的地はマルクトらしい。勿論膨大な文字の数には目もくれず、単純な単語である"マルクト"という文字を見ただけの判断なのだが。まさか、この飛行船を落とす気なのだろうか?
「へへ……もうすぐだ。憎い教会の奴等を始末できるぜぇぇ……」
「うーん、こっちは予想通りの展開だし。どうしよう」
 マリアはじりじりと後退を始める吸血鬼を見つめていた。別に焦っている訳ではない。"一撃で奴を殺す"手段が見つからないだけだ。人質をとられていてはまず心臓は撃ち抜けないし頭部も人質の顔に隠れて見えない。脚、と言っても彼は亡者の第三階級"吸血鬼"。自己回復能力もただの屍とは違いずば抜けて優れている。隙を作れたとしても二、三秒。その直後には完全回復し人質の首が綺麗に吹き飛んでいる事であろう。それにこの操縦室の大きさ、及び人質をとられている為、切り札のミサイルランチャーは使用不可。まさに八方塞状態である。
 しかし彼を客室へ行かせる訳にはいかない。今度は乗客全員が人質にとられてしまう危険性があるからだ。マリアはどうにかして、まず人質を助けようと考える。だがいい案は全く浮かび上がらない。セラフィムの特務スタッフと言えどまだ十二歳の女の子。考えられる領域にも程があるし、駆け引きもそんなに上手くは無い。
「うーん、うーん」
 うめく少女を睨みながら吸血鬼はどんどん後退していく。
 ――このまま逃げられちゃ駄目だ……!
 マリアがガントレットを振り上げて足に狙いを定めた瞬間、今度は勇気を振り絞った一人の操縦士が椅子から立ち上がり、吸血鬼の身体に飛びついた。吸血鬼も、まさかただの人間が飛びついてくるとは思っていなかったらしい。ぐらついた吸血鬼は姿勢を崩し、人質を手放してしまった。少なかれど大きな隙が発生したのは確かだ。
 そして、マリアはその隙を逃がすほど甘くはない。照準を切り替えて左腕の手甲の先端が咆哮する。右肩から左肩にかけて穿たれていく弾丸。そして後方へと吹っ飛ぶ体。
 すかさずマリアは床を蹴る。
 そして吸血鬼の腹を踏みつけ、ガントレットの銃口を彼の心臓にポイントする。
「今度こそチェックメイト」
 彼女の左腕、正確には左腕の手甲から吐き出された銃弾は、吸血鬼の心臓を幾度も貫き、完全に沈黙させた。しばらく自分も動かずに亡者の死を確認する。そして深く一息つくとガントレットの銃口は仕舞われた。マリアは倒れている二人の操縦士に近寄って心配をあらわにした。
「大丈夫ですかぁ! 怪我してないよね!」
「え、ええ。我々は大丈夫です」
「良かったぁ〜」
 ほっと胸をなでおろすマリア。するとそこに丁度操縦室にライザとリプレスが入ってきた。
「おう、殲滅終了か。ようやった、嬢ちゃん」
「えへへ」
 マリアはその茶の髪を恥ずかしそうになでた。その後ライザはマリアの足元で死んでいる吸血鬼の身体を調べる。少し古い感じのするペンダントがズボンのポケットから落ちた。そしてそこに刻まれている紋章はライザ達にとっては見慣れたものであった。
「また、この国が絡んでるんかい」
「ミクトランですね」
 リプレスの問いにライザは静かに頷く。マリアはガントレットを腕から取り外し、側に置いてあった大きなコンテナに仕舞いこむ。これは以前、自分達と仲間だった悪魔が背負っていたものなのだが、今の彼はラキアという監獄島で収容中である。まあそれにも色々と経緯があるのだが、別に罪を犯したからそこに居るのではないと言う事だけは確かだ。
 ただ彼にはそこに行かなければならない理由があったのだ。
 マリアは命の恩人である彼の顔を久々に思い出しながらコンテナのシャッターを閉めた。ライザは握っていたリボルバーを懐に収める。
 客室へと戻る。
 不安そうな表情の乗客たちに向かってライザは叫んだ。
「三体の吸血鬼はワイ等が殲滅した! もう安心してええで!」
 彼の報告を聞き、一同はまず静かになった。そして少しして大きな歓喜の声が上がった。操縦室のリプレスはパイロットに向かって提案した。
「パイロットさん。マルクトまでどれぐらいですか?」
「あと三十分で到着しますが?」
「そうですか、ではマルクトの教会に連絡をとってください。受け入れの要求をお願いします」
「了解」
 パイロットは無線機を手にとり、電源を入れた。と、その時だった。飛行船の内部が大きく震動する。
 ――何かが命中した?
「大丈夫ですか! マリアさん!」
「はい〜……大丈夫ですぅぅ」
「何や何や! 何が起こったんや!」
 慌てて操縦室に飛び込んできたライザ。リプレスは何が起きたか分からないと首を横に振った。するとパイロットの一人が悲鳴に近い叫びをあげた。
「左翼エンジンに被弾! な、何が当たったんだ!」
「まさか!」
 ライザは嫌な予感がして窓の外を見た。見えるのは早く流れていく雲達。そしてその上にぽつんと浮いている黒点、否、影。
 人間? それはまず無い。普通の人間がこんな所に存在できるはずがない。ならばあれは何だ。
「アスラフェルや」
「アスラフェル?」
 リプレスがその名を復唱した。確かに雲の上に浮いているのは黒き翼を大きく広げたアスラフェルだった。彼は亡者第二階級である"悪魔"の部類に入っている。だが普通の悪魔とはケタ違いの力を持ち、その凄まじい能力はマルクト最強と呼ばれた機関、セラフィムの特務スタッフと互角以上にやり合えるまでに達している。
「アイツが裏で糸引いてたんやな!」
「でもここからじゃ撃退できませんよ!」
「そうだよぉ! 無理にも程があるよー!」
 マリアとリプレスが講義する中、ライザは視点を持ち上げていた。見つめているのはアスラフェルではなく、更に遠くから近付いてくる何か。
 巨大な機影。船体側面に刻まれた"歌"の紋章。
 シェハキム所属飛行艇"ツヴァイレライ"だ。
 以前、何かの報告書で見た事があるその姿。純白の船体に真っ赤な音符の紋章を刻み込んだ巨大空中戦艦。乗っているのは恐らくシェハキム教会の神父達であろう。
「こいつは、助けと思うてええんか?」
「とりあえず見守るしかありません」
 リプレスは胸の前で手を組み合わせ、祈りを捧げる。雲の上を優雅に飛ぶアスラフェルは不敵な笑みを浮かべていた。
さあ、落としてあげよう。聖職者と言う名の愚者の集う町へ
 ――悪魔アスラフェル。
 両手にどす黒い霧を集め、マルクトへ向かう飛行船へと襲い掛かる。

                                     『ESCAPE AND STRUGGLE』 END