――『第三部・序章』――
―― 六月九日 豪華客船"ユグドラシル"倉庫 PM 8:00 ――
「おい! これからどうするつもりだよ!」
体つきのがっちりした男が相棒の小さな丸眼鏡をかけた痩せ型の男に尋ねた。本人は小声のつもりなのだろうが、痩せ型の男には五月蝿くて仕方が無い。
「もう少し君は静かにしたらどうなんだ……一応、これは密航って事なんだから……」
痩せ型の男の背中をばんばん豪快に叩きながら体つきの良い大男はにかっと歯を見せて笑った。
「見つかったら見つかった時の事だ。全くおめぇは昔っから心配性だなぁ!」
「君はいつでも後先考えなさ過ぎなんだ! フォローする僕の身にもなってくれ!」
「てめぇも大声だしてんじゃねぇよ、ジュデック。ホラ、見回りがくるぜ」
会話もそこそこに、荷物の影に急いで隠れる二人。実はこの二人、両方とも教会の神父である。彼等が現在居るのは超豪華客船ユグドラシルの船底にある倉庫。この船の目的地は決まっていない。なぜなら世界を旅するからだ。一年に一度だけ、世界中の海を旅するという、金持ちの貴族どもが考え付いた贅沢な娯楽が存在するとは風の噂程度で聞いてはいたが、まさか実在するとも思っていなかった。その豪華客船に何故、この冴えない教会の神父達がこの船に乗っているのかと、言う事には重大な理由があった。
「いったみたいだな」
「ふう、ハラハラさせやがるぜ」
安堵の息をつきながら大柄な男は果物が詰まった木箱を背もたれに座り込む。痩せ型の男、ジュデックは大男を見た。黒の前髪を後ろへまわしている大男は、無造作に散りばめられたエメラルドの長髪を持て余したジュデックを見た。
「でもターゲットは一行に出現しねぇぜ? どうするよ?」
「あちらが出てこないなら、やる事は一つじゃ無いのか?レイド」
「へっ、こっちから出向いてやるって訳だな」
ここで彼等に課せられた任務を語る前に、彼等の素性をはっきりさせておこう。
彼等は聖王国"マルクト"より更に北方に上がった地方に存在する歌の国"シェハキム"の教会の神父だ。そしてこの二人はシェハキムの聖職者の中でも有名な"問題"神父達。まあ、問題なのはこの男。大男レイド・ジルヴァーナだけのだが、いつもとばっちりを受けている相棒の痩せ型の男、ジュデック・レミトンまでもが問題視されてしまうのだ。
――そもそも腐れ縁と言う奴なのだろうか?
この大男と痩せ男がコンビを組んでから、もうかれこれ六年にもなる。六年にもなるとお互いの事も結構知り尽くしている。何がキライだ何が好きだとか、女の趣味やら生活習慣、コンビネーションばシェハキムでも群を抜いて良い二人である。
その最高の二人に課せられた任務はこの超豪華客船ユグドラシルに潜む悪魔の殲滅。普通なら別の教会に任せてもいいくらいの依頼なのだが、この事件はどうしてもシェハキム教会の神父が解決しなければならない事件なのだ。
数日前、まだ他の任務についていたレイドとジュデックは、シェハキムの教会施設から一匹の悪魔が逃走したとの伝令を受けた。逃走した先はこのユグドラシル。そして、そんな事件に派遣されたのが問題視されるこの二人。理由は至極単純である。二人が任務についていた場所から、ユグドラシルが停泊していた場所が近かったからである。それ以外にも、この二人なら悪魔相手に死んでも別に構わないと言う上層部の考えもありそうな気がするのだが。
――何にせよ不運であり悲惨である。
全八階級に種族を別けられている亡者と呼ばれる"ヒトあらざる者"の中でも第二階級に値する悪魔。武装をした神父を二十人は必要とする相手に、これからたった二人でやりあおうと言うのだ。
――正直、無茶にも程がある。
だが、別にとうの二人には悪魔相手と言う事に心配は無かった。むしろ金持ちの貴族に見つかる方がこの二人にとっては悪魔退治より厄介な問題だった。もし貴族に見つかってシェハキム以外の教会にこの事件の事でも言いふらされてでもしてみろ、シェハキム教会は責任問題で異端審問にかけられる上に、自分達はきっと死刑以上に酷い事が待っているに違いない。レイドは想像に背筋をぞくっと震えさせながら倉庫の出口を開いた。
顔だけ扉の外へ出して左右を見る。豪華客船とか言う割に監視カメラも無し。これなら安易に脱出できそうだ。
「おいレイド。くれぐれも油断はしないでくれよ」
「おう、分かってらい」
静かに倉庫の外へ出たレイド。そしてその後を静かにジュデックが出てきた。教会から支給された悪魔の放つ霊力、アストラルを感知する為の装置、アストラルサーチをジャケットのポケットから取り出すジュデック。
眼鏡を右人差し指で押し上げ、じっと蒼のモニターを見つめた。長方形のモニターに映し出される緑の発光点は霊力発生源。この船の中に居る事は確からしい。ジュデックはそれを確認すると側面についているボタンを押した。すると今度はモニターに、拡大された船体の構図が立体的に映し出される。これならこの船のどこから霊力が発生しているかを詳しく確認する事が出来る。
――パーティ会場?
この客船の中では当然だが一番広い部屋だ。それに今は午後八時。パーティも大盛り上がりしている頃であろう。そんな所で暴れられてでもすれば……大惨事は免れない。ジュデックの脳裏に初めて貴族に見つかる事より、乗客の死に対する恐怖が芽生えた。そんな痩せ男の心配などまるでお構い無しにレイドは警戒心無しで廊下を歩く。ジュデックは慌ててレイドを止める。
「おい! 無闇に移動するのは駄目だ! 隠れて移動しなければ!」
「ああ? そんなまどろっこしい事出来るかよ。おめぇも良く分かってんだろ?」
「まあ……その無鉄砲な所は良く知っているさ! そのために僕がどれだけ苦労してきた事か……」
ジュデックが額を右掌で押さえながらレイドの後を追う。すると廊下の曲がり角から警備員らしき男が出てきた。そしてその警備員とレイドの視線が一致する。
「……!」
「見つかっちまったか」
警備員はすぐさま腰に提げていた無線機を取り出そうとする。が、しかし、無線機を握り締めているであろうその右手には鋭いナイフのような物が突き刺さっていた。
「う……うぎゃあ!」
「悪いねぇ、邪魔する奴は見逃せねぇんだよ」
レイドの腕が背後から警備員の首に絡みつくと、一気に締め付けられ、へし折られてしまった。白目を剥いた警備員は壁に叩きつけられると二度と動く事無く床に座り込んだ。ジュデックはその警備員の前に跪き、胸の前で十字をきる。警備員の右手には鋭く先端を尖らされた十字架が突き刺さっていた。
「殺さなくても良いじゃないか」
「へっ、そうやって何かを殺めるのに躊躇ってたらこっちが殺られるぜ?」
警備員が絶命し、人の気配の無い廊下を歩く二人。とりあえず甲板へ上がる事が先決だ。と、そう思って歩いていると早速上に上る階段を見つけた。
「おう、これで上に行こうぜ」
「ああ。見つかったらすぐに逃げるんだぞ。人間は殺しちゃ駄目だ」
「甘いねぇ、てめぇは」
「聖職者たるもの当然だ!」
「言っておくが、俺は神父であり神父じゃねぇよ」
不機嫌そうに鼻を鳴らすと階段を上がるレイド。運良く甲板に警備員の姿は無い。これならさっさとパーティ会場へいけそうだ。早速甲板の上を風の如く走り抜けるレイド。ジュデックは別ルートでパーディ会場を目指していた。言葉は交わさなくても大体お互いが考えている事は分かる。六年と言う歳月がソレを可能にさせてきたのだ。
パーティ会場は船の中心部の二階。その神々しいまでに純白の船体を山でも登るかのようにしがみ付くレイド。天窓から侵入しようと言うのだ。先に中に入って悪魔を探すのはアストラルサーチを持つジュデックの仕事。自分は正体を現した悪魔を文字通り"滅殺"するだけだ。
手が滑りそうになるのを何とか踏ん張って昇っていくレイド。側から見ると怪しい事この上ないのだが、誰も見ていないのでお構い無しだ。すると、ようやく高い窓まで登ってくることが出来た。これほど険しいロッククライミングをする人間もそうそういまい。一度下を眺めてみる。とんでもない高さだ。金持ちの考える事はつくづく分からない、我ながら良くここまで登って来たものだと感心する。
「落ちたら死ぬな、こりゃ」
レイドはしっかりと窓の淵につかまりながらパーティ会場内部を見る。
どこを見ても貴族、貴族、貴族。レイドの最もキライとする人種どもだ。談笑したりワイングラスを傾けながら歩き回る人間を見て、レイドはふんと鼻を鳴らした。
「同じ人間でも、貴族ってのは嫌だねぇ」
『レイド、聞こえるかレイド』
「おうおう、ちゃんと聞こえてるぜ」
耳につけていた小型イヤホンから流れる雑音と相棒の声を聞きながら頷くレイド。どうやら向こうも潜入に成功したらしい。実はジュデックも貴族だが、彼は別に嫌いではない。最初は敵対意識抜群だったのだが、いつしか友情が芽生え、現在に至るのだ。レイドは上からジュデックの居場所を探る。彼も神父ながら、任務の為に貴族のような格好をしている。貴族だらけのこの会場の中から探すのは流石に骨が折れた。
「どこにいやがるんだ、アイツは」
『レイド。聞こえるか』
「へいへい! だから聞こえてるって!」
『目標を確認した。来賓席の一番右だ』
「どれどれ」
結局相棒を探すのは断念して、レイドは言われた通りに来賓席らしき長机を見てみる。確かに貴族の中でも更に煌びやかな衣装に身をまとった連中がいる。その中でもすぐさま悪魔だと分かる貴族が一人。隠しているつもりなのだろうか? その茶の長髪からは長い耳が少しでていた。笑った時に零れる牙はどこからどう見ても悪魔のものだ。レイドはその姿を確認するやいな、早速突入準備にかかる。
『レイド、動くなよ! 君はいつも先制攻撃をかけようとする!』
「ああン? ちまちまやってる暇なんざねえだろうが?」
『おびき出すと言う事を考えてだな……』
「そんなまどろっこしい事、できねぇって言ってるだろ」
『仕方ない。なら今回は僕からアタックを始める。君は奴がパーディ会場から出て行ったところを確実に滅殺するんだ。良いね』
「了解。俺に美味しいとこくれるってわけか?」
『そうだな』
雑音混じりに微笑みが送られてくるのを感じた。パーティー会場の中心でジュデックは両手を大きく広げ、姿勢を深く沈めた。周りの貴族が困惑の声をあげているが最早気にしてはいない。彼の両手の甲が人工皮膚を引きちぎってせり上がった。そこから顔を覗かせたのは片方三門、両手合わせて六門の銃口。腕に取り付ける"アームガントレット"とはまた違う。
彼の腕は、"そのままの兵器"なのだ。
その六つの銃口を来賓席で赤ワインを飲む悪魔の頭部にポイントする。銃口に気付いた貴族達の悲鳴が聞こえるが、今更どうでも良い事だ。むしろ射線上に人がいなくなって見晴らしがよくなったくらいだ。
脳内で撃てと伝達する。思考はそのままジュデックの両手へと達し、六門の銃口が一斉に火を噴いた。床にばらまかれる薬莢の数から手加減はしていない。片腕装填弾数二百発。フルオート射撃ならものの数十秒で全弾撃ち尽くす義手。蜂の巣になった純白のテーブルクロスは赤ワインに染められている。
悪魔の姿は――無い。逃がしたか? 天窓の方へ振り向きながら無線機に叫ぶ。
『レイド!』
「おうおう、姿は捕獲してらあ!」
レイドは貴族の中を凄まじいスピードで逃げる悪魔の姿を確認していた。常人にはまず悪魔の姿を補足するなど無理に等しい話だ。が、彼にはできていた。伊達に教会組織の中で鍛えられてはいない。
右手の指の間には三本の十字架。ただの十字架ではない。"祝福"と言う悪を浄化する聖なる儀礼を受けた十字架である。和国"ヤマト"という国ではこの十字架の事を"クナイ"と呼ぶらしい。まあ、どんな呼び名であろうがレイドにはどうでも良い事だった。命中し、相手を倒す事ができれば何でもいいのだ。窓ガラスを豪快にぶち破ると、真下を走っていた悪魔の上にその鍛えられた拳を沈めてやった。が、拳は悪魔の身体にはめり込まず、代わりに赤い絨毯の引かれた床にめり込んだ。衝撃が床を伝わり、拳の周りの床板が破砕音と共にせり上がる。すんでのところを回避されたか?
「どこに逃げようと無駄だぜ!」
レイドは右手を思いっきり振るった。その指の間から離れた三本の十字架は、逃げる悪魔の右肩、背中の中心、左足を正確に射抜くと、対象をその場に平伏させた。レイドは悪魔の動きが停止したのを確認すると、ゆっくりと近付き、その長髪を乱暴に鷲掴みにした。
「ほれ。ジュデック。確保成功だぜ」
「全く、君と言う奴は限度を知らない。致命傷だな。すまない。こいつは僕に殺らしてくれ」
近寄ってきたジュデックは悪魔の状態を確認した。流石は祝福を施された十字架だ。邪悪な悪魔の身体はその接触部分から煙を上げて融解し始めている。彼等、亡者にとって致命的でもある特殊鋼を素材としている十字架だからこそ、更にその効力を発揮したのかもしれない。
何にせよ、このまま聖なる力に蝕まれて絶命するにはあまり時間はかからないだろう。ジュデックはレイドに髪を離してやるようにと言った。が、代わりに自分が悪魔の背中を思いっきり踏みつけてやった。シャンデリアが放つ豪奢な光を反射する小さな丸眼鏡。その後ろに隠された深緑の瞳は冷たい殺意を放っていた。
「さてと、大人しく教会の牢屋の中に居れば良かったものの。逃げて捕まったら即死刑って知っていたのかい?」
「ぐ……うう……貴様等に、捕まって死を待つぐらいなら自分で死んだほうが……マシだ!」
悪魔は勇敢にも言い返す。だが、それは単なる無意味な発言でしかなかった。
彼の死はこの時既に決定されていたのだから。
右手の甲に光る三つの銃口。そしてそこからほとばしる爆光が放たれた時には既に、悪魔の身体は背中から顔面にかけて蜂の巣にされていた。これではいかに悪魔と言えど確実に絶命している。相変わらず、亡者に対しては無慈悲な相棒の姿を見てレイドは口笛を鳴らした。そして顔面の無くなった悪魔の死体を見て、その腹を思いっきり蹴飛ばしてやる。
「んじゃま、任務終了って事で」
「帰るとしよう」
二人は悪魔と戦ったと言うのに、まるで疲れた様子もなくパーティ会場を後にした。
――― 『T』 ―――
『NIGHT HUNTER』
―――夜の狩人―――
――豪華客船ユグドラシル悪魔殲滅任務より二日後――
――六月十一日 シェハキム教会本部受付 PM2:30――
「これ、報告書です」
「ご苦労様。それにしても、大変だったんだって?」
麗しき受付嬢、ノーマ・ルロイスが天使のような微笑を浮かべジュデックを見る。ジュデックは後頭部をかきながら笑った。
「まあ、大変だったと言えば、大変だったな」
「そう、大丈夫だったの?」
「おうおう!大丈夫だぜノーマちゃん!」
「あら。神父レイド。お久しぶり」
突如ジュデックの背後に現れたガタイの良い男に、まるで驚いた様子も無く挨拶するノーマ。むしろうんざりと言った顔で視線をそらしている。レイドはにやにやと相棒の顔を眺めた。
「ジュデック。お前、中々やるじゃねぇか〜!」
「な、何の話だ」
「またまた、分かってる癖によぉ」
「だから何の話だ!」
「喧嘩だったら外でやってきてね」
今にも殴り合いになりそうな二人を止めたのは優しいノーマの口調だった。ジュデックは人前で熱くなったのを恥ずかしく思ったのか、早足で出口へ向かった。レイドはノーマに手を一振りすると走ってジュデックの後を追う。そんな彼等の背中を見て、ただ優しい微笑をノーマは浮かべていた。
「さて、っと。そろそろ孤児院に行く時間だな」
「おう? もうそんな時間かよ?」
レイドは腕時計を見る。もう二時三十分だ。昼前に帰って来たばかりだというのに、ジュデックは忙しそうに歩を進めている。
彼、神父ジュデックは顔に似合わず無類の子供好きであった。ボランティアで孤児院の子供達の世話をしにいくのが彼の日課だ。対するレイドはあまり子供が好きと言う訳でもなかった。昼間はただ町を歩いて、困っている人がいれば神父として助けてやる。まあ、助けるのは貧民限定なのだが。
ジュデックは豪華客船より帰還した時に新たに配布された事件の事でレイドに尋ねてみる。
「レイド。誘拐の件はしっているか?」
「誘拐事件の話だろ? あの、子供だけを狙うって奴」
レイドは教会に帰還した時、ほんの一瞬だけ目を通した資料の事を思い出す。彼等が豪華客船の任務についていた4日の間に、既に誘拐事件が四件発生していた。しかもどれもこれもが子供だけを誘拐すると言う奇妙な事件。一件目は真夜中に起きた。民家の窓ガラスをぶちやぶり、就寝していた子供を誘拐したのだ。二件目と三件目はショッピング中の親子の前で忽然と子供が消えると言う事件。そして最後の四件目、双子の姉妹が仲良くおつかいに出かけている時に事件は起こった。夜遅くになっても帰ってこない彼女等を心配し、親が警察に捜索届けをだしたのだ。
事件が表沙汰になったのは丁度その時からだったと言う。
そしてそれから二日経過した今でも、警察組織の懸命の捜査も虚しく一行に事件は解決しなかった。
と、言う訳で今回教会組織までもが捜査に参加する事になったのだ。
普通の誘拐事件などで教会組織が警察組織に協力する事は無い。が、今回ばかりは特別なのだ。
――奇妙な目撃証言が二件目、三件目にでたからだ。
翼を持ち、耳の尖った化け物が子供を誘拐した、と。その証言、外見から明らかに、犯人は亡者の内でも第二階級にあたる悪魔だ。
――豪華客船事件の少し前から亡者達が起こす犯罪の件数が急増している。理由は定かではない。だが以前まで亡者がおかす犯罪などはなかった。いや、あるといえばあるが、屍どもが人間の肉を喰らうだけであって、ましてや誘拐などと言う明らかに計画性を持った事件は起きるはずが無かった。屍どもにそんな高度な犯罪技術は無い。
強力な亡者が何かを企んでいるのだろうか?
レイドは深々と考え込んでいた。そんな相棒の険しい表情に気付いたジュデックは、レイドの肩を叩きながら笑った。
「そう深く考え込むな。見間違いと言う事もあるじゃないか」
「目撃証言の事かよ?」
まるで考えを見透かされていたようだった。レイドは別に驚いた様子も無くジュデックを見る。
「やけに珍しいじゃねぇか。お前が見間違いだなんてよ?」
「思っただけさ。悪魔は滅多に人間のすむ社会には現れない、そうだろう?」
「確かになぁ」
これもジュデックの気遣いの内だとは分かっていつつも、つい孤児院の子供達が気になるのはレイドの心が実は優しいからである。子供限定とした誘拐事件となれば、最終的には親に捨てられた子供達の沢山居る孤児院が狙われる確率が非常に高い。そんな事には絶対させない。レイドは内心、静かな闘志を燃やしていた。当然、ジュデックも同じ気持ちだろう。子供好きと言う面では、この男に勝てる気はしない。
親に捨てられただけでも辛い体験だと言うのにその上に誘拐などとなれば、その子供の心にどれだけの傷が刻み込まれるかは想像し切れない物がある。これは彼自身、孤児だったと言う体験に基づいての意見なのだが。
ジュデックは向こうから走ってくる二人の子供の姿を見つけた。
――孤児院の子供達だ。
丸眼鏡を押し上げると痩せ男は優しい瞳で微笑んだ。
「駄目じゃないか。ちゃんと孤児院の中にいなきゃ」
「だってジュデック兄ちゃん、遅いんだもん!」
「退屈しちゃってさぁー!」
「ああ、すまない。今行くから。早く戻りな」
「はーい!」
二人の少年は元気良く挙手すると走ってもと来た道を戻り始めた。レイドはその小さな背中を見て、愉快そうに鼻を鳴らした。
「へっ、元気そうじゃねぇか」
「ああ。毎日元気だ。あの子達に被害が及ばなければ……そうだろ? レイド」
「そこまでお見通しとは、感服するぜ全く」
ジュデックに読まれっぱなしの心境を情けなく思うレイド。六年の歳月はここまでの信頼感を固めるのだ。後に、彼等の信頼感は絶大なる力を発揮する。
「まっ、俺もたまにはガキどもと遊んでやるのも良いかな」
「ああ、体力バカの君が居てくれるとホント助かる」
「そうだろそうだろ…って体力バカだと! おい! ジュデック! てめぇ今体力バカとか言わなかったか?」
相棒の抗議は全く無視しながらジュデックは孤児院の門を押す。そして、小ぢんまりとした教会のような建物の中に入った。レイドは息の荒いままジュデックの後について入る。
建物の内部は殺風景だった。リビングにキッチン。二階には数室の子供部屋、それだけだ。普通は子供達の面倒をみる職員が居るのだが、職員であるシスターがたったの一人なので、彼女の部屋はわざわざ作るまでも無かったのだ。そのシスターと言うのが、
「あらあらぁ。今日も来てくれたんですか?」
「ええ。日課ですから」
いつもは冷静なジュデックのテンポを狂わせるこの女。ミルフィーユ・ジョイントが、この孤児院たった一人の職員である。おっとりとした象徴であるたれ目はいつでも優しく薄っすらと開かれていて、そこから覗く金色の瞳は見るものを和ませる魔力を持っている。その和ませる金色と同じ色をしたショートカットの髪は先端が外に少し跳ねていた。この女、どこからどう見ても平凡なただの"のほほんシスター"に見えるが、ここ、シェハキム教会本部のシスターを統一する、大聖母――"グランドシスター"の階級を持つ超大物なのである。
レイドはいつも悩む。
なぜならこの女の実力をこの目で確かめた事が無いからだ。何故、このような天然ボケを普通にかましそうなアホシスターが、シスター最高階級であるグランドシスターの称号を得ているのか。いつもそれに悩んでいた。
巷では"雪使い"と言う異名で恐れられているが、その異名の意味すら分からない。
外見は普通の成人女性と変わらぬが、これで三十五歳と言うのだから驚きだ。まだ十分二十代でも通せそうである。そして、そののほほんとした瞳が自分を見つめている事に気付いたのは、この螺旋する思考が終わった直後だった。
「な、何だよ?」
「あらあらぁ、また作戦だったんですか? 疲労の色が見えますが」
おっとりとした口調とは裏腹に、言っている事は見事的中している。
先程、また依頼されていた任務を終わらせ、二時間前に帰還したばかりだ。流石に疲れてはいるが、子供たちの手前、それを隠していたのにこの女性はそれすら見抜いた。
――鋭い。
「まあ、そんなトコだ。こっちには昨日帰ってきた」
「すみません、孤児院、あけてしまって」
「いえいえ、大変なのはお互い様ですよ? 困った時はお互い様とも言いますし〜」
もう少し口調が早くならないものだろうか。レイドは少し苛立ちながらもいつも、その優しい声に何か懐かしいものを感じられずにはいられなかった。ジュデックはふと僧衣の裾を小さな手に二、三度引き寄せられる。ふと下を見てみると小さな少女が上目使いに自分を見ていた。エレノアという少女だ。無口であまり子供同士では遊ぼうとはしない。だからいつもジュデックが遊び相手になるのだ。
「あしょぼ?」
「うん、分かった。じゃあちょっと待ってくれるかい?」
いつもの自分に対する態度とはまるで違う。レイドはジュデックの子供に対する優しい微笑みをみながら頷いた。まあ、言わずとも分かっている。彼が無類の子供好きだと言う事は。誰もが志願しなかったこの孤児院の子供の面倒を見る手伝いを彼は自ら進んで手伝った。レイドもそれに巻き込まれるような感じで今ではたまに手伝わされている。別に悪い気はしない。子供とは純粋なものだから。するとレイドのところには数人の男の子が群がってきた。
「あそぼーぜー!」
「あそんでー!」
「おう! 分かった! 分かったから」
「それじゃあ、頼みますねぇ」
ミルフィーユは和やかな微笑を残すとキッチンの方へ向かった。彼女は主に料理担当の職員だ。三ツ星レストランの料理人でさえ舌を巻くほどの腕前で、以前一度だけレイドもご馳走になったが、大変美味かった。確かに、三ツ星レストランの料理人が舌を巻きそうな腕前だと感心したものだ。
レイドは数人の子供をその鍛えられた両腕で持ち上げる。そして一人ずつ投げ飛ばしてやった。勿論手加減はかなりしている。
「よっし! かかってこいや!」
◇
時間と言うものは案外早く進むものである。それが楽しければ楽しい時間であるほどに早く過ぎていくものだ。あっと言う間に日も沈み、時計の短針はとうに九を刺していた。子供相手に流石にへとへとになったレイドたち。彼等を子供部屋へ連れて行き寝かせつけた後、よろよろしながらリビングへと降りてきては椅子に座り、倒れこむように机の上へ上半身を預けた。
「つ、疲れた」
「だらしないぞ、レイド。君は体力だけが取り得だったハズだぞ」
「だけってなんだよ! ……お前も毎日慣れてるクセして息上がってるじゃねぇか」
「何っ!」
「やるかっ!」
いつも通りの喧嘩が勃発しそうな彼等を止めたのは穏やかでのほほんとした声だった。
「そこまでですよぉ。さあ、紅茶でもお飲みになって」
「おう、すまねぇな」
「すみません」
ミルフィーユがテーブルの上に紅茶の入ったカップを置く。神からいただいたとでも言わんばかりにありがたそうにカップに口付け、紅茶をすするジュデック。そんなジュデックとは逆に、レイドは一口で豪快に紅茶を飲み干してしまった。紅茶の香りが口の中に広がって、ほう、と息をつかずにはいられない。
するとその直後、急にわけの分からない眠気に襲われた。レイドに至っては既に机の上に突っ伏している。
「何だ……? 急に、眠く……」
「……」
「争いの元は絶っておかないと子供が起きちゃいますからね」
天使のような微笑の裏に悪魔の策略を閃いていたミルフィーユは完全に意識のとんだ二人を軽々と抱き上げて、ソファーの上に寝かせた。二人の寝顔を見ていると、なんだか自分まで眠くなる現状だ。
「ふわーあ、私もそろそろ……」
その直後、彼女は快眠している二人を下敷きに静かな寝息を立てていた。
事件は彼等が深い眠りについている時に既に起きていた。
――六月十二日 シェハキム孤児院 AM 8:53――
「まあ!!大変!!」
別に大変でもなさそうなのほほんとした叫びが孤児院内に響き渡る。実は本当に大変なのだが、彼女が叫ぶとイマイチ危機感に欠ける。熟睡から叩き起こされた二人組みはソファーから転げ落ちた。
「な、何だぁ?」
「どうかしたのか?」
ゆっくりと意識を震わせながら立ち上がるジュデック。眠気がまだ完全には振り払えていない。妙に胸の辺りに柔らかくて温かい感触が残っているのだが、気のせいだろうか。まだ寝ぼけたまま床で辺りを見回しているレイドはとりあえず放っておく。叫びが聞こえた二階へとあがるジュデック。そこで見たものは本当に大変な出来事。ジュデックの思考が止まってしまうほどの事だ。
「……!」
「やられましたね」
「ん……何だぁ? って、おい、どう言うことだこれ」
子供部屋の一室。窓ガラスが完全に破壊され、ベッドにかけられているシーツはズタズタに切り刻まれている。抵抗したのだろう、壁には少量の血痕が残されている。何より目を惹きつけたのは壁にあいた大穴だ。朝日がそこから差し込んで、眩く部屋を照らしている。子供たちの姿がどこにもない。この部屋にいたはずの六人の子供たちが消え失せているのだ。
レイドが両隣の部屋を確認して帰ってくるが、首を振って絶望的な報告を返した。ジュデックは震える拳で壁を叩いた。拳はセメントで固められた壁にめり込み、そこから亀裂を走らせる。歯を食いしばり、必死で怒りを抑えこんでいるようだ。
「畜生……っ!」
「ジュデック君」
ミルフィーユがジュデックの肩を優しく叩いた。するとレイドは床にぽつんと取り残されていたペンダントのようなものを見つけてそれを拾い上げた。
「俺の予想は的中だったな。ほれ、見てみろ。ミクトランの紋章が刻まれたペンダントだ」
確かにレイドの手からぶら提げられているペンダントには亡者の国"ミクトラン"の紋章がはっきりと刻まれていた。怒りに震える視界でそれを確認するとジュデックはそのペンダントを掌に乗せた。
「ミクトラン……」
「ああ、犯人は亡者。なら、俺らが浄化してやるのが筋道ってもんだろ? ジュデック」
「……ああ。そうだな、悪魔を浄化してやろう。レイド」
「そうこなくっちゃな。シスターミルフィーユ。お前も手伝ってくれる「却下ですね〜」
「早っ!」
レイドが言い終わる前にミルフィーユは断った。すると彼女は続けた。
「ジュデック君。冷静になりなさい。私にも気付かれずにこれだけの事をやった悪魔です。あなたに太刀打ちできますか」
「……」
ミルフィーユの言うとおりだ。確かにミルフィーユと自分の力は歴然の差なのだろう。だが、そんな事が理由で引き下がるわけにも行かない。自分はこの孤児院の子供たちを愛している。だからこそ取り戻さなければいけないのだ。
拳を震わせているジュデックを横目に、レイドは不思議そうに唇を歪ませながらミルフィーユを見る。
「それだけ強力なら、何でお前もこねぇんだよ」
「私は誘拐事件について分かった事を教会へ伝達してきます。亡者が絡んでいるとなると、警察ではなく教会の仕事になりますからね。それなら、シェハキムの教会兵士を引き連れて悪魔を完全に殲滅する事ができる」
おっとりとしているが、的確に言うミルフィーユ。レイドは次にミルフィーユが何を言うかを読んで、相棒の頭を小突いてやる。
「ジュデック。俺らの出番らしいぜ」
「え……?」
いつもはキレのいい男なのに、ここまで動揺すると落ちるのか。レイドは新たな発見を見逃す事無く、ミルフィーユに話の続きを促した。
「ジュデック君。私達三人が教会まで行っているときっと手遅れになります。こう大胆な犯行を起こしてはこの土地に長く止まるつもりもないでしょう。そうなる前に、貴方達が先行して悪魔を足止めしてください。私達もすぐに後を追います」
「ミルフィーユ様……」
ジュデックにようやくいつもの冷静な表情が戻ってきた。完全に立ち直らせたのは、やはり相棒の張り手である。背中を思い切りはたかれたジュデックは、相棒を見て礼を言うように笑い、そして真剣な面持ちでミルフィーユに向き直った。
「はい。亡者足止めの任、確かに承りました」
先生が生徒に合格点をあげるように微笑むと、ミルフィーユはようやく普段の本当におっとりした口調に戻した。
「感覚的な話になりますけど、まだ霊力が少し残っています。アストラルサーチはお持ちですかぁ?」
「はい、持ってます」
すっかり教会本部に返し忘れていた霊力探知機をポケットから取り出すジュデック。ミルフィーユはその長方形の物体を見ると和やかに微笑んだ。
「そうですねぇ……倍率は五百。それで逃げた悪魔を追えると思いますよ」
「あ、ありがとうございます!」
――なんて奴だ。
ジュデックは感謝の気持ちで一杯だったのかもしれない。だがレイドは違った。普通の人間が感覚的に霊力を補足するなど無理に等しい話だ。それをこの女は感覚だとぬかした。どういう経緯なのかは分からないが、彼女には霊力を感じ取る事ができるのだ。
――この世のあらゆる力の波動を読み取る事が出来る人間。
魔力、霊力、妖力、殺気……それに不可思議な精霊力までを感じ取る事が出来る人間が居ると言う噂は聞いた事がある。そんな人間が居ればお目にかかりたいものだとは思っていたが、まさか彼女が――
しかしそれ以上の推測は相棒の呼びかけが許さなかった。
「レイド! 行くぞ」
「ん、ああ!」
「お二人とも気をつけてね〜」
孤児院から出て行った二人を窓から見送り、ミルフィーユは一息つく。
「さてと、まずは兵力のかき集めね」
◇
アストラルサーチのモニターが示す緑の光点は西を示していた。
西――確かそちらの方面には古代宮殿が存在していたはずだ。いつ、何の目的で作られたのかすら分からないとても古い古い宮殿が何十年か前に発見されたのだ。だが、内部は既に亡者どもの巣窟となっており、当時の調査半の力では捜索する事は不可能とされていた。教会が捜査に乗り出す事になったのだが、深くまでは進めず、未だに謎を多く残す、数少ない"遺跡"である。逃亡先は確認できた。あとは追って"滅殺"するだけだ。
ジュデックはアストラルサーチをポケットに仕舞うと更に加速する。レイドは後ろからかなり息荒々しく追いかけてきている。目的の古代宮殿はすぐそこだ。内部へ入るには許可証が必要だが、そんなものこの際どうでもいい。ジュデックは宮殿の入り口を守る神父二人に止められた。
「ここから先は亡者どもの巣窟。戻られよ」
「時間が無いんだ。どいてくれないか!」
「それはできぬ」
「おいおいジュデック! そんな奴等に止められてる場合じゃねぇぜ!」
ふと三人を大きな影が覆う。太陽の光を背に、レイドが高く跳躍していたのだ。そして急降下を始めた彼を止められるものはいない。神父二人は眼前に着地したレイドに呆気なく鳩尾を突かれ、その場で悶えた。これなら数十分は動けまい。
「ほれ、いくぞ! 相棒」
「ああ」
二人は宮殿内部へと侵入した。流石に古代の遺跡だけあって、内部の構造は古めかしい。石を石の上に積んでいく単純な構造。恐らく古代文字でも刻まれていたのだろうその壁は今にも崩れんばかりの亀裂が走っている。床の石畳も同様に踏みつけると頼りない破砕音を奏でた。
「後ろの床、崩れちまったぜ?」
「帰り道なしか」
ジュデックはため息混じりに言う。危機とは立て続けに起きるものである。今度は前方から不気味な呻き声が聞こえてきた。亡者第七階級、動死体、いわゆるゾンビだ。別にこいつ等の個々のレベルは対した事は無い。彼等に防御能力は無い。攻撃を防ごうと言う思考が欠落しているからだ。
その代わりに、ただ人肉を食い荒らす為だけの思考が延々と繰り返されているのだ。だが、こいつらが複数集まると防御能力などは無関係になってくる。何しろ、心臓を潰さない限りしなない彼等に対して、腕や足を吹き飛ばしても意味が無い。死なない彼等に動揺し、組み付かれたらそこで負けだ。恐怖と屍の群れは一気に体のあちこちを喰いちぎり、肉の旨みを味わう事無く、また次の餌を求めて彷徨うのだ。教会の人間はそんな屍どもを打ち倒す為に結成されたエキスパートの集団。そして、レイズとジュデックはその教会の問題神父。亡者の第七階級なぞ、群れになろうが眼中にはない。
「おうおう、また沢山来たぜ?」
「さっさと浄化してやろう。彼等が可哀想だ」
ジュデックの両手の甲が盛り上がり、そこから冷たい銃口が現れる。レイドはただ拳同士を押し付け、ばきばきと骨を鳴らしている。気持ちの悪い屍どもの顔が腐臭と共に接近してきた。
「行こうか」
「応よ」
二人は石畳を蹴り、散開する。ジュデックは右へ走り、レイドは左側へと跳んだ。姿勢を一気に低位置まで落とすジュデック。両腕ははっきりと亡者の群れの中心をポイントしていた。
「卑しき屍どもに正義の鉄槌を。アーメン」
両手合わせて六つの銃口が爆光を放った。ものの数十秒で撃ち尽くされた四百発の銃弾の雨はほとんどの亡者どもを蜂の巣へと変貌させ、その後で灰に還してやった。一方、石畳の上に着地したレイドは背後から迫ってきた屍に裏拳を一発。顔面を打たれよろめいた亡者の心臓に拳をつきたてる。
「邪魔する奴は死んじまえ! アーメン!」
彼の拳が心臓を突き破ると屍は呆気なく崩壊する。続いて床を少し蹴って浮かぶ。空中で腰に回転をかけ、急旋回しながらの回し蹴りで五体の屍の顔面を払い除ける。レイドが着地した頃には彼等はすでに二度目の死を体感し、崩れる。いつの間にか右手の指の間に出現していた三本の銀十字。側面から飛びつこうとしていた亡者に向けて腕を振るう。次の瞬間、三本の十字架はその屍の顔面に綺麗な三角形を作って突き刺さっていた。
「ジュデック、こいつらほっとくぞ! 先へ進むのが先だ!」
「おうよ!」
目の前に立ちふさがる亡者達を四百発の銃弾が再装填された義手で狙うジュデック。
――連続する轟音。
空薬莢が軽く石畳に四百個叩きつけられている頃には前方を塞いでいた亡者どもは跡形も無く消し飛んでいた。前進をとめる事の無い二人。雑魚どもには目もくれず、最深部を目指した。
◇
「ふう。全く、やってくれるぜ」
レイドは亀裂の入ったぼろぼろの石壁を背もたれに座り込んだ。僧衣は傷だらけ。オマケに顔面までもが傷だらけときている。別に亡者にやられたわけではない。この宮殿に仕掛けられた多数の罠の数々が彼をここまで傷付けたのだ。
「ったく! この宮殿を作った奴の顔が見たいぜ!」
「まあそう言わない、っと」
ホコリまみれの碧髪を手で払うと、ポケットからアストラルサーチを取り出すジュデック。反応は大きくなっている。
――近い。
「どうやらこの扉の向こうのようだな」
「そこか?」
レイドは座ったまま首を動かす。確かに促した先、ジュデックの前方には巨大な扉が存在している。
「扉を開けたら矢が飛んでくるとか、そう言うオチはナシだかんな」
先程の体験をレイドは忌々しく語る。ジュデックは心配ないと首を振る。そして扉の取っ手に厳重に巻かれた鍵と鎖に片腕――三つの銃口を向けた。銃撃開始。ジュデックが脳で命令すると義手はその通りに二百もの銃弾を吐き出す。連続射撃を喰らった鎖はボロボロになり石畳に重々しい音を立てて落ちた。いまだ硝煙を吐き出す銃口を見つめ、ジュデックは相棒に呟く。
「行くぞ」
「あいよ。休憩終わりっと」
ゆっくりと立ち上がるとレイドはジュデックの前に立った。そして一気に扉を蹴破る。中々の重量をしている扉だとは思っていたのだが、レイドの蹴りを喰らった瞬間、粉々に砕け散って散乱した。これなら別に鍵を吹き飛ばす必要もなかったようだ。その扉の破片を踏みにじりながら二人は部屋の内部へと侵入する。
大きな、そして無機質な部屋だ。その奥には檻があった。そしてその中には誘拐された十数人の子供達の姿も存在している。だが、レイドとジュデックは安心する様子も無く、むしろ警戒している。まあ、子供が無事だった事は安心しているのだが、今度は自分達の心配だ。
檻の前に一人の男が立っている。
尖った耳、口から零れた牙、そして漆黒の翼。亡者第二階級"悪魔"。戦闘能力、知能指数、共に高く強敵だ。
「ネズミがここまで来れるとは……予想もしていなかった」
真紅の長髪と真紅の瞳が振り返る。彼は意外そうな表情で二人を見つめていた。
「生憎様。ネズミより腐った死体に殺されるほど俺たちゃヤワじゃねぇよ」
「ふふっ、成程。正論だ」
悪魔は腕を振りかざした。
――何か仕掛けてくるつもりだ!
「ジュデック!お前は後方支援しやがれ!あいつは……俺が殺る!」
「了解。気をつけろ!」
「お前もなっ!」
石畳を蹴ってレイドは跳躍する。悪魔はその時既に遠く離れた距離で腕を振り下ろしていた。その指先から放たれた疾風の刃は真っ直ぐにジュデックを狙っていた。慌てて横に飛び退いたジュデックは辛うじて衝撃波を回避する。そしてすぐさま態勢を立て直し、義手を無造作に振り上げた。レイドは空中で既に銀十字を右手に三本揃えていた。
「――不浄なる亡者どもに正義の鉄槌を……」
「ぶっ殺してやらぁ! アーメン!」
痩せ型の神父の銃口はほとばしる爆光を放ち、巨体の神父の右手からは鋭い十字架が投じられる。そしてそれらに狙われる悪魔がとった行動は銃弾を避ける事でも、十字架を跳ね返す事でもなかった。
「愚かだ、ヒューマンは」
「「……!」」
二人は思わず目を疑った。真紅の悪魔が右腕を振るうと、彼に打ち込まれるハズだった銃弾が灰塵となり、投じられた銀十字は彼の目の前で粉々に砕け散ってしまった。回避も跳ね飛ばしてもいない。彼は一歩も動かずに彼等の攻撃を破壊してしまったのだ。
「な、何だ?」
着地したレイドは目を大きく見開いていた。ジュデックは両腕を上げたまま動けなかった。
「今なら助けてやる。さっさと地上に戻れ。私は無益な殺生は好まない」
「あんだとこの野郎……!」
「やめるんだレイド!」
「何だよジュデック!」
相棒を制したジュデックは機械化された網膜に映し出される膨大な赤字に驚いていた。
――何なんだこの悪魔は!
先程からこの悪魔の能力測定をしているのだが、全てが測定不能の文字をたたき出しているのだ。放出霊力量に反応能力、筋肉組織などからみる腕力、全てが不明。総合戦闘能力はおよそ"SS++"と判定しても良い。このような強力で強大な悪魔を見るのは二人にとって初めての体験だ。
「レイド、一旦退いた方が良さそうだぞ……こいつは絶対的にマズい」
「子供を見捨てんのかよ!」
「誰も、そんな事は言っていない」
確かにそうだ。あのジュデックが誘拐された子供を見捨てて撤退できる訳が無い。その機械化された瞳はハッキリと目の前の強力な亡者を映し出していた。次はこれまでに発見報告のあった悪魔のデータとの照合だ。わずか五秒で検索を終了させるが、網膜上に映ったのはエラーの文字。
――データにもない悪魔だと言うのか?
レイドは相棒が何をしているかを大体予想していた。その間にも密かに両手には計六本の銀十字が構えられている。悪魔は冷たい瞳でこちらを見ている。逃げるのなら逃がしてくれそうだが、レイドはそれを許さない。誘拐された子供達を目の前に逃げる事など出来ない。逃げれば多分後悔する。直感だが、彼の思考はそう告げている。だから、彼は逃げない。
「どうした、さっさと失せろ」
苛立ちを隠せぬ口調で悪魔が警告する。レイドはその凄まじい殺気をひしひしと感じながら相棒を横目に見た。
「おいジュデック。"分析"は終わったのかよ?」
「ああ、ほぼ完璧に。だが戦闘能力の分析は出来ていない。と、言うより出来ないと言った方がいいな」
「そんだけ強いのか、あいつ?」
「強いなんて言うレベルじゃないさ……文字通りの化け物だと言えるよ」
ジュデックの深刻な表情を見ながらレイドは視線を悪魔に戻す。悪魔は冷たい表情で二人を見ていた。どうやら彼等の瞳を見る限り、戦意は失われていないらしい。ため息混じりに腕を振り上げるとやれやれと首を振る。
「仕方が無い奴等だ。見逃してやるといっているものを。死に急ぎたいようだな」
「ヘっ、まあ死ぬぐらいはどうって事ねぇって」
「ああ。肝心なのはその後だ」
「……? 言っている意味が良く分からんが、死ね」
悪魔の瞳は先程に増して赤く染まっている。そして呪文を呟き始める。
[ミディアンズ二十パーセント活性化、戦闘モードにて起動――!]
地震をも引き起こしそうな殺気が部屋を覆った。思わず意識が遠のきそうになる重みにレイドとジュデックは何とか耐える。苦笑しながら相棒に意見を求めるレイド。
「やっぱ、逃げときゃ良かったかな」
「何を今更、ここまで来たら死ぬまでやるしかあるまい」
レイドはもっともだと鼻を鳴らした。そして目の前の強敵を睨みつける。
「さて、やってやろうじゃねぇか!」
「見せてやろう。我、タナトスのミディアンズを」
タナトス。そう名乗った最強最悪の悪魔は石畳を蹴って、レイドとジュデックを襲撃する。
『NIGHT HUNTER』 END