―― 『』 ――


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                     ―― 旅立ち ――


 リプレスの弟、ユーグを探す任務を追加されたルーベンスたち。マルクトをでて、まずどこへ行くかと言う話になっていた。実際、こんな無謀な命令をする上司も上司である。任務とは言えど、肝心の居場所が分からなければただの目的地の無い旅と同じである。ルーベンスはかれこれ十分、地図と対決していた。現在地点はマルクトより北に五キロほど言った森林に差し掛かったところである。真っ昼間だと言うのに森には不気味な静寂の中に不気味な声しかなかった。薄暗くて、気味の悪い森。ルーベンスたちはその中を今歩いていたのだ。
 見たことも無い植物が彼等を歓迎してくれるのに対し、森ではいつでもどこからか亡者の呻き声が聞こえてくる。ヘクセンも"彼等"の邪気を探るが、数が多すぎる。この広大な森に少なく見積もっても五百体程度は居そうだ。銃弾や、こちらの戦力を考えても多勢に無勢。襲われては恐らくこちらに勝ち目はないだろう。
 だが、そんなヘクセンの心配も裏腹に、ルーベンスは鼻歌混じりに警戒心まるで無しの状態で歩いていた。リプレスはその後をおどおどと歩いている。いくら旅をしていたと言えど、こんな危険なルートをわざわざ選んで通っていたとは思えない。未体験の土地に恐怖心が先行しているのだろう。そしてその後に自分、マリアと続きしんがりがライザ。手と一緒にポケットに突っ込んでいるのは短銃らしい。当然と言えば当然、彼らしい警戒だ。ヘクセン自身、亡者の気配に気を配りながら歩いていた。
「ふう、もう結構歩いたんじゃない?」
 ルーベンスが不意に誰かに聞いた。が、誰も答えない。問いに答えるだけの十分な自信がないのだ。この森ではコンパスの類いも通用しない。自分が真っ直ぐ進んでいる事を信じて歩くしかないのだ。大体、森の全長が分かっていないのだ。どれくらい歩いたかもあやふやで解答を求める方が間違っている。
「シカトかよ〜。まあ良いけどね。とりあえず今は前進前進!」
「あ、あの」
 ふとリプレスがルーベンスの肩を掴んだ。以外に強い力に歩くのを止められた少年神父は後ろに倒れこみそうになりながら、なんとか踏ん張ってバランスを保つ。そして顔だけをリプレスに向けた。
「どうかしたの?」
「そっちは、危ないです」
「へ? どう言う事?」
 ルーベンスの問いに答えたのは目の前にいる歌姫ではなく、その更に背後にいた漆黒の女神だった。
「前方に多数亡者の邪気反応確認よルーベンス。それ以上先に進むのは、確かにあまりオススメできないわ」
「な、成程。でも何で分かったんだい?」
 顔を引きつらせながらルーベンスはリプレスに尋ねた。すると歌姫は照れながらも説明する。
「声が……声が沢山聞こえたからです」
「声? 僕には何も聞こえなかったけど?」
「ワイも聞こえんかったな」
「あたしもです」
 ルーベンス、ライザ、マリアが口を揃えて言う。リプレスは相変わらず照れた様に続けた。
「私、昔から声とか、音に凄く反応して誰が何を喋っているかが分かっちゃうんです。どんな小さな言葉でも、聞こうと思えば耳に入るんです」
「成程。そりゃまたすごい能力だね」
 ルーベンスは正直に感心しながら立ち止まる。真っ直ぐ行けないとなるとルートの変更が必要である。しかし真っ直ぐ行く以外には道は無い。というより、真っ直ぐいかないとなるとどちらに進んでいるのかすら分からなくなってしまう。左右は言うまでも無く獣道。草木が地面を覆い尽くし、大変歩きにくい。まあ、逆に言えば歩けなくもない。
 ルーベンスがどちらに行こうかと提案しようとした時、襲撃が起こった。ヘクセンが叫びに近い警告をあげた。
「亡者の邪気多数接近。前方後方からおよそ二百体……いや、二百五十」
「とりあえず左右の森に逃げて北のシェハキムで合流しよう! リプレスは僕と! ヘクセンはライザとマリアを頼むよ!」
 いつの間にか腰から抜き取られていた銀光放つ銃は神父の手にしっかりと握られていた。ヘクセンは主の命令にしっかり頷くと早速恐らく東側の森であろう道へと飛び込んだ。そのあと、慌てふためいているマリアを脇の下に抱え、ライザが飛びこむ。ルーベンスはリプレスに向けて叫んだ。
「早く! こっちの森へ走るんだ!」
「は、はい!」
 後方から一気に迫ってきた亡者達の心臓を打ち抜くルーベンス。リプレスがヘクセン達とは逆の森へ逃げたのを確認すると自分も後方に向けて銃を乱射しながら森へと進んだ。あの鈍い動きの亡者達では恐らくこの道を追いつく事はできまい。ルーベンスは空になったマガジンを地面に落とすと、即座に懐から新しいマガジンをグリップにセットした。最後に遊底を引いて迎撃準備完了。時々後ろを振り向きながら草木を分けて前を走るリプレスに追いついた。
「リプレス! 大丈夫かい!」
「はい!」
 意外にもはっきりとした返事にルーベンスの心配は吹き飛んだ。とりあえず今のところ亡者の姿はない。とにかく走る。走って走って走り逃げる。まだ空は明るいのに森の中はどんどん暗くなっていく。
 ――奥へ進みすぎたか。
「リプレス! ちょっと待って!」
「え?」
 ルーベンスに呼ばれてリプレスは急ブレーキ。振り向いて深刻な表情の少年神父を見た。
「どうかしたんですか?」
「そろそろ北へ向かって走ろう。ここまで西に来れば大丈夫だと思うよ」
「はい! あ、それと大変申し上げにくいのですが……」
「……?」
 リプレスのかしこまった姿をみてルーベンスは不思議に思う。
 ――どうかしたのだろうか?
 リプレスは事情を説明する前にまず深々と頭をさげ、謝罪した。
「ごめんなさい!」
「へ?」
 いきなり謝られても。ルーベンスは彼女の意図が分からず首をかしげた。リプレスは恐る恐る神父の顔を見て話す。
「実は、私追われてるんです」
「……」
 ルーベンスは泣きたくなった。もう少し早く言ってほしいものである。
 まあ、大体の予想はついていた。彼女を拉致しに、悪魔であるアスラフェルが出てきた事が既に重大事実だ。そしてアスラフェルの不可解な言葉。

"亡者の世界、そして汚い教会の世界。両方が必要としている力…"

 彼女の"歌"の事なのだろうか。しかし亡者に聖なる力、つまり法術など浴びせたら瞬く間に蒸発してしまう。古来、聖なる力と魔の力は対立しているからだ。ならアスラフェル達"マリエルを殺した奴等"は何故彼女を必要とするのだろうか。ルーベンスは思考を巡らせるが、どれもが真実とは思えない。リプレスはいつの間にか険しくなっている神父の顔を見て心配した。
「あ、あの……」
「ん?」
「やっぱり、私足手まといですよね」
 暗い表情をするリプレス。ルーベンスはしばらく考えるように沈黙する。だが、決して沈黙の肯定と言う訳ではない。どうすれば自分の気持ちを分かりやすく伝えられるかを考えていたのだ。
「……足手まといではないね」
「え?」
「君には人々を癒す歌がある。誰かを守ってあげる事ができる力があることはとても幸せな事だ。君は、リプレスは足手まといなんかじゃないよ」
 何故か悲しそうな瞳で微笑み、遠くを見つめるルーベンス。
 まるで自分には誰も守れない、とでも言わんばかりの瞳だ。
 リプレスはそんなルーベンスの表情を見つめていた。
「戦う力をもつ僕が君を守る。それが力を持った者の役目だからね」
 立ち止まった神父の笑顔は歌姫の頬を赤く染めた。
 ほんの数日前会ったばかりなのに信用してくれていると言うのか? こんな奇妙な能力を持った自分を受け入れてくれるのか? 彼の、ルーベンスの顔には一つの嘘も浮かんでいなかった。
 そしてその笑顔は瞬く間に真剣そのものと変化した時、右側に銃を構えた神父は立て続けに五連射していた。今にも草の茂みの陰からリプレスに襲いかかろうとした亡者どもを撃ち抜いたのだ。急だったからだろうか? 銃弾はいつも喰いちぎるはずであろう心臓に一発も命中していなかった。
 亡者の数は三。
 だが、そいつらを目の前にしてルーベンスは冷や汗を流しながら膝をついた。明らかにおかしい。先程までとはまるで別人だ。リプレスは必死に少年神父の肩を揺すった。
「る、ルーベンスさん!」
「ルーベンスで……良いよ」
 既にシルバーウルフは主の掌から離れ、地面に転がっていた。リプレスはその神父の顔をみて驚いた。今にも死にそうなほど青ざめたその表情は、この少年の体に何か異変が起こっているであろう事の証明であった。神父の腕が小刻みに痙攣するのを見て歌姫は焦った。
 だが、リプレスは決して逃げようとはしなかった。恐怖心よりも先に彼女を戦意へと奮い立たせたのは、ここで死ぬわけにはいかないと言う強い意志と、この少年を守りたいという決意の表れであった。
「リプレス……?」
 青ざめた少年の横で立ち上がった歌姫。凛とした表情で亡者達を見据え、法衣の腰を探り、そして一本の十字架を取り出し、胸の前で構える。これで何をしようと言うのだろうか。朦朧とする意識で少女を見上げるルーベンス。すると、リプレスは小さいが、確かな響きで呪文を唱えた。
「我が魂よ。断罪の十字架、ソウルブレイカーに宿りて敵を討て――!」
 胸の前に構えられた十字架の先端から神々しいまでの光が一気に伸びた。その光は、闇を切り裂く蒼き刃と化し、歌姫の力となる。
「参ります!」
「ソウルアーム……魂を削る武器!」
 以前誰かに聞いた事がある。
 自分の魂と引き換えに絶大的な力を得る事が出来る武器がこの世には存在すると。
 武器の形は様々、ヘクセンの持つ『アシュタル』もそうだし、エリスの持つ『ナイト・オブ・ナイト』もソウルアームである。アンダリューサイトと言う特殊石を武器に組み込み、その石が使用者の魂を吸い取る代償として、使用者に絶大な力を与える武器である。この武器を扱えるのは、ほんの少数の精神力の強い者のみである。
 しかし、この武器の力を解放し続けると、いつかは魂が空っぽになり、身体中に走る激痛に悶えながら死んでいくのだ。勿論、使用時間を短くすればするほど長生きはできる。だが、一度この武器を使えば、常人が天寿を全うする八十歳まで生きることは叶わない。せいぜい四十歳が限度であろう。彼女がこれまでにどれだけこの剣を使ってきたのかは知らないが、歌姫の額には冷や汗が浮かんでいる。これは相当この剣に頼ってきた証拠でもある。
 勇敢に三匹の亡者どもに立ち向かう少女。十字架の先端から召喚された魂の剣は蒼白い光を放っていた。正面から亡者の一体が剣を振りかぶる。その行動を見切ったリプレスは一気に正面の亡者の懐まで潜り込み、心臓深くを一気に突き刺し、刃を背中まで貫かせた。剣を振り上げたまま絶命した亡者からすぐさま剣を抜き取り、左右両方から剣の不意打ちをかけてきた屍の兵士たちの攻撃をバックステップで回避する。再び十字架に念じるリプレス。そしてとても響く声で呪文を唱えながら剣を掲げた。
「トールパニッシャー!」
 ――電光が疾駆した。
 六つの雷の帯が残った二体の亡者を確実に捕らえた。一気に電流を流し込まれた屍の心臓は麻痺を起こし、ショックによりその場で脆く崩れ落ちた。その亡者の姿を見下ろしながら肩で息をしている彼女の背中を見守るルーベンス。いや、むしろ見守る事しかできないと言った方が良い。体が重くて、上手く動かせない。今は起き上がることすらままならないのだ。必死にもがくが、身体に激痛が走るだけ。その苦痛な表情を水晶玉ごしに眺めながら一人の悪魔の男、アスラフェルの唇が三日月に裂けた。
「苦しそうだね、ルーベンスの奴」
「当たり前だ。そろそろ魔力が尽き掛けているのだろう。何せ、ゼブルで死んだエリエルの報告によれば奴は三度ほど、ミディアンズを解放しているそうじゃないか」
 冷たい視線と同じぐらいの冷たい声で尋ねる男は美しかった。暗闇の中でも燃え上がるように目に焼きつくのは真紅の長髪。そして瞳もまた、目の前で水晶玉を覗き込む男と同様、燃え盛る真紅だった。水晶玉を眺める男、兄の顔を見てアスラフェルは少し前の質問に答えた。
「ああ。それに僕と一戦交えて一回使ったなぁ……エリエルの時は本気みたいだったし」
「エリエル、人間如きに本気とは……」
 弟を見下ろす真紅の瞳は哀れの色を帯びていた。アスラフェルは見下したように鼻を鳴らした。
「ルーベンスの奴は落ちぶれたみたいだね」
「いや、奴はまだ落ちぶれていないさ……見てみろ。アスラフェル」
 ルーベンス達は亡者の新手の襲撃をうけている。長男はそんな彼等の映る水晶玉を興味深そうに見つめた。アスラフェルも不思議そうに透き通る水色の中を見た。そこには銀の狼を果敢に構えたルーベンスが居た。だが、無様にも地面にはいつくばっている。その澄んだ海の色をした瞳は確かに亡者の心臓を睨んでいた。震える腕で銃口を必死に急所にポイントしようとしている。
 その様子を見て、アスラフェルは首を振りながら心底呆れたように溜め息をつく。
「哀れだね、ルーベンス。人間など生かしたところでいずれ牙を剥くっていうのに」
 アスラフェルは水晶玉を見下した。いや、正確には水晶玉の中で必死に銃を構えているルーベンスを見下していた。すると"兄"は薄っすらと、本当に薄っすらと笑みを浮かべた。
「いや、これこそがアイツの良い所だ。人間に味方をして何になるのかは、今後も理解できんがな」
「当然だね」
 兄、タナトスの姿は水晶球から離れ、闇の中へと溶け込んでしまった。アスラフェルもまた、水晶玉を横目で一瞥し、鼻で笑うと、闇へと消えうせた。
 いまだ水晶玉の中では銃声と凄まじい覇気を含んだ叫び声が聞こえていた。

「リプレス、逃げるんだ!」
「い、嫌です! おいていけませんよ!」
 ルーベンスの懸命な援護もあり、亡者はかろうじて接近戦を強いることは出来ていなかった。ルーベンスはリプレスだけでも退避させようとするが、肝心の歌姫は頑としてそれを受け入れない。
「早く逃げて、この場は僕がしのぐ! 北へ行けばライザたちが待ってるから!」
「行けません!」
「頼む、僕一人なら何とかなるんだ! 今は聞き分けてくれ、ライザ達を呼んできてさえくれればいいんだ。行け、行くんだリプレス」
 ルーベンスの半ば悲鳴へと変わりかけた激しい怒声に、リプレスは剣への魂の放出を止めた。そしてこの少年を残していく事を悔やんだが、必死な思いが通じ、彼女は北へ向かって走り始めた。
 それを感知した素早い屍の兵士、改良された亡者がルーベンスの頭上を飛び越えて彼女を追いかけようとするが、背後から飛来した銀の銃弾がそれを許さなかった。亡者が地面に叩き落されたのを確認すると、よろよろと立ち上がり、ルーベンスは生ける屍たちの前に立ち塞がるようにして睨みつけた。
「彼女には指一本、触れさせない……」
 神父の瞳は深い海の蒼から鮮血の赤へと変化する――
 しかし、その変化の途中に異変は起こっていた。瞳の色が変化の兆しを見せないのだ。
 ルーベンス自身、理由は分かっていた。自分の体内に霊力が存在していないのだ。ルーベンスは霊力――つまり悪魔が持つ特有の力が無いと活動すらできなくなる。
 そう、ルーベンスは人間ではなかった。目の前の化け物達と、同じ存在であった。
「確かに前回補給したのは三ヶ月前だからねぇ……もうそろそろ尽きても良い頃だと思ったよ」
 しかし、ルーベンスの表情に焦燥の色はなかった。むしろ、本来の力が使えなくとも全く諦めていなかったのだ。まだ自分には戦う力が残っている。この銀狼が共に戦ってくれる。銃弾の尽きたマガジンを把握からずり落とす。がしゃんと言う音を立て、弾倉が足元に落ちた。そして瞬く間に再装填。
 ルーベンスは目を見開き、素早くスライドを引いて銃身を振り上げると、重々しい銃爪を引き絞った。
 銃身は勢い良くスライドし、狼の顎から銀の銃弾が鋭く放たれる。狙いはただ一点、亡者を完全に行動不能に追いやることの出来る心臓、つまり動力部分のみだ。
 不思議にも、体の怠惰感とは逆に、意識は冴えていた。右腕が発砲の反動でちぎれそうになるのも気にせず、ルーベンスはただ銃爪を引き続けた。そして銀狼はただ主の命令に従うが如く銃弾を吐き出し続けていた。亡者は心臓を喰いちぎられ、次々と灰塵と化す。途中、右腕を真横から噛みつかれたが、激痛とともに即座にそれを感知すると、右手に握られていた銀狼は瞬く間に左手に握られ、少年の肘が折れ曲がったかと思うと、右肘ごとゾンビの頭蓋を吹き飛ばしていた。
「はぁ……はぁ……」
 この短時間で何十発撃っただろうか。いくら引き金を引いても、撃鉄が銃身に叩きつけられる虚しい音しか聞こえなくなっていた。いつしか、自分の周りには風に舞う灰しか残っていなかった。
 短い時間だったはずなのに、意識が朦朧としているルーベンスにとって、それはとても長い時間に感じられていた。
 ――立っているのが辛い。膝をついた。
「急がなくちゃ……皆が、待ってる」
 仲間の顔を思い出し、再び頼りなく立ち上がったルーベンス。おぼつかない足取りで再び森の中を歩き始めた。

 一方、東を進行中のヘクセン達は亡者の追撃を順調に回避していた。草の茂みを掻き分けながら、北へ走って進行中である。
「マリア、左!」
「了解!」
 マリアは男に指示され、左腕を無造作に振り上げた。改良された屍兵、通常の喰人鬼とは比べ物にならない速さで剣を構え、飛び掛ってくる。地上からそれを確認した見習いシスターは、ガントレットをアタックスタンバイに入れる。
「駆逐開始!」
 金色に輝く手甲の先端が勢い良く火を噴いた。そのゴツい十字架を模したフォルムの先端は両端へと開き、そこから大口径の銃口が脅威を引き連れ出現していた。そして次の瞬間、毎秒三発で放たれる銀の銃弾は、改良ゾンビの全身に蜂の巣を思わせる弾痕を穿ち、瞬く間に次の索敵を開始していた。右から向かってきた屍の兵士を視界の片隅で確認するマリア。今度は左腕をおろし、代わりに右腕を上げた。
 ガントレットの先端は既に割れており、そこからは"銃口"ではなく"砲口"が突き出ていた。
「ごめんなさい、お仕事なの!」
 彼女が謝罪した次の瞬間、ガントレットの側面にあった冷却ファンから、一気に白い蒸気が吹き出た。そしてその白い煙と同様の蒸気をまとった短い棒が、砲口から凄まじい勢いで離れた。真っ直ぐに亡者の腹に突き刺さった"ソレ"は、ぶつかった矢先大爆発を巻き起こし、亡者の脳天や心臓、ありとあらゆる無数の急所を無関係に粉々に吹き飛ばしてしまった。びりびりと鼓膜が叩かれるのを耳を抑えて我慢し、その赤く燃え上がる光景を見ならが、ライザは口をあんぐりと開いていた。
「み、ミサイルランチャー!」
「えへへ」
 マリアは照れながら、腕を自分の後頭部に回した。
 一体、彼女の腕力はどれ程のものなのだろうか。いくら反動回避の為の逆ジェット噴射による衝撃軽減を計算に入れても、小型ミサイルを発射するのだから多少の反動はジェットだけでは受け止めきれずに我が身に返って来るはずである。多少と言うが、それは男性にとってであり、ましてやこんな幼くて小柄な少女では遠く遥か後方に吹っ飛ばされていても納得がいく。それを片手で、しかも何の支えも無しで撃ってみせたのだ。常人の腕力ではまず考えられない。
「ライザさん! 後ろ危ないですよ!」
「……!」
 ライザは寸前のところで背後から振り下ろされた剣を横に跳んで回避する。少し距離を置いた所で、すかさず懐から旧式回転拳銃を取り出し亡者の頭蓋をポイントする。
 ――轟然。
 放たれた六発の銃弾は確実に亡者に宿された仮初の命を奪い去った。
「不意打ちとは卑怯やな」
「ちゃっかり反応してるじゃないですかぁ」
 マリアは苦笑しながらライザを見た。まだ硝煙を上げているリボルバーの銃口を眺めながらライザは一息ついた。がくんと銃身が折れ曲がり、弾倉から空薬莢をぱらぱらと落とすと、バックパックから弾丸を手にとり、弾倉へと命を吹き込んでいく。ライザはそうしながら視線をヘクセンに移していた。
 彼女の足元には無数の亡者どもの死骸が転がっていた。腐って異臭を放っている血液が黒き刃にべっとりと付着している。漆黒の狩人は、ただ無残に平伏す死体どもを冷酷に見下ろしていた。
 まるで出会った時とは様子が違う。冷静と言えば冷静なのだが、あの大鎌、アシュタルを持つ前とはまるで別人であった。邪悪な殺気を立ち込めさせるヘクセン。これでは先程までの美しく秀麗な女性を想像するには難しい。漆黒の狩人はしばらく立ち止まっていたが、何かを思い出したようにすぐさま北へ向かって歩き始めた。ライザとマリアは顔を見合わせ、置いていかれないようにと、慌てて彼女の後を追いかけた。
 亡者の気配はまだ健在だ。
 ライザは六発目を装填すると、把握を勢いよく手首で振り上げる。すると銃身が跳ね上がり、がちんと言う接続音と共に、回転拳銃は元の姿を取り戻していた。念には念をと、ポケットに突っ込んでいた短銃も掌に握り、構える。
 樹海の茂みを走る亡者達。茂みが騒がしく揺さぶられている。段々とその音は大きくなっていた。それは接近し、こちらに攻撃を仕掛けてくるという予兆だった。
「嬢ちゃん、注意しときや。来るで」
「うん、分かってますよぉ!」
 見習いシスターは重々しい金色の手甲をぐるんと振る。そして森の茂みに向かって構えた。
「さてとぉ! 頑張りましょうね!」
 再び少女の右腕から煙が噴射される。撃ち出された噴射弾頭は茂みの中へ突っ込み、森の奥で閃光と大爆発を起こした。粉塵が巻き起こり粉々に砕かれた木片が飛来してくる。ライザはサングラスのブリッジを押し上げてリボルバーを構えた。
 煙の中に黒い影が三つ。
 心臓の場所はある程度予測がついている。それを技術でカバーして撃ち抜くだけだ。銃声が三つ鳴り終わると共に、亡者の影は塵となって消えていた。ライザは銃口にまとわりついた硝煙をそのままにしてリボルバーを右腕ごと背後に向ける。左手にしっかりと握り締められた短銃は右脇下から顔を覗かせていた。
「往生してぇや!」
 ――銃声が轟く。
 二挺拳銃から撃ち出された計十一発の銃弾は、背後からライザに襲いかかろうとしていた亡者五体を蜂の巣にした。だが、先程マリアが作り出した粉塵の中からはまだ無数の影が物欲しそうな呻き声と共に歩いてきていた。
「ラチ開かんでホンマ! マリア、逃げるで!」
「え? ええ?」
 ライザに引っ張られ、いまだ静まらないマシンガンを撃ちながらマリアが叫ぶ。それにしても我ながら凄まじい逃げ足だとライザは自画自賛していた。だが、一つ不安だったのは果たして自分は北へ向かって走っているのだろうかと言う事である。
 ――そうだヘクセンは?
 振りかえると彼女の漆黒のローブが暗闇の森の中で微かに見えた。彼女の名を呼ぼうとするが、もう届かない場所まで自分達が離れている。マリアはまだ引きずられながらもう見えないヘクセンの背中を見ていた。
「(にしても何故改造された亡者がこんな大量におるんや?)」
 ライザはふと考える。結論はかなり嫌な予感だ。できれば当たってほしくない。まさかだと思った事、マリエル殺しの誰かがこの森に改良亡者の試験としてやってきているとしたら。たまたまこの森に入り込んだ自分達を殺そうとしているのなら。
 ――これはヤバイ。頭の回転が早いライザだからこそ閃く発想であった。何事もネガティブに考えるのは悪いことだとは思うのだが、これなら全てに辻褄が合う。このご時世、改良亡者などを作ろうと言う者は大抵頭のネジが二、三本吹っ飛んでいるからである。
 しかし、ライザはそこで踏みとどまった。逆にいえば、この森のどこかにマリエル殺しの犯人の一人が居ると言う事。いや、一人ではないかもしれない。マリアはやっと止まったライザを見上げ、ほっとため息をつきながら着地する。そして真剣な眼差しでどこか遠くを見ている男を呼ぼうとするが、にやりと笑ったライザの方が声を出すのがほんの少し早かった。
「こりゃあ、絶好のチャンスやな」
「え? 何がですかぁ?」
 マリアはきょとんとした表情で首を傾げた。マリアの問いはあえて無視して、リボルバーと短銃の弾丸を再装填したライザは振り返った。
「さて、どこに居るんかいなぁ」
「何の話?」
 何も説明してもらっていない。そう頬を膨らますマリアを見て、ようやくライザは解けない難問を解いたかのように口を開く。
「この森のどっかに、マリエル殺しの犯人が居るんや」
「……ええええ!」
 驚きのあまり、マリアは顎が外れたように口を大きく開けていた。聖女マリエル殺人についての報告は上司から聞いていた。しかも、悪魔に魂を売った人間はどれも強力な能力者であったと聞いている。そんなヤバイ連中が今この森を徘徊していると考えると、正直ぞっとした。
 ライザは再び歩き始める。
 正直、彼に方向感覚などというものは存在しない。今、自分がどちらの方向へ進んでいるのかすらも分かっていなかった。だが、直感が告げるのだ。こちらに行けと。
 その直感のみにしたがって歩くライザの後をちょこちょことついていくマリア。相変わらず周辺には気を配りながら足を進める。ガントレットは常に攻撃態勢機能に準備されている。亡者の呻き声は聞こえるが、そう近くは無い。むしろどこか遠くのほうで聞こえる。時たま、木々を移動する奇怪な鳥類が亡者の声を遮断する。
 だが、それに動じる様子も無く、ライザは何の躊躇も感じさず歩いていた。
 こちらにはきっと何かがある。
 ――そして、その予感と直感は見事に的中していた……ように思えた。
 森の茂みが再び大きな音をたて揺れる。何者かがこちらに近付いていた。
 ――マリエル殺しの犯人か? いや、それにしては殺気が小さい。
 以前みたエリエルの殺気はもっと凄まじかった。
 なら、何なのだろうか? 亡者? いや、呻き声や独特の死臭はしない。
 ――人間か!
 茂みから出てきたのは天使のような人間だった。そう、確かにルーベンスと一緒に解散した歌姫リプレスだった。潤んだ瞳でこちらを向いて何かを伝えようとぱくぱくと口を開閉している。彼女がなぜここに居るのだろうか? と、言うかルーベンスはどうしたのだろうか? ライザは不意に構えて、彼女の額に突きつけていたリボルバーに気付き、慌てて収める。
「おおう、歌姫やないけ! ルーベンスはどないした?」
「そ、それが……ルーベンスさんが!」
「ここに、居るよ」
 遅れて茂みから這い出るように歩いてきたのは、既に僧衣がボロボロに破かれた少年神父、ルーベンスだった。ライザの前でばったりと倒れると意識を失ってしまったらしい。見習いシスターは必死で彼の身体を揺さぶった。
「ちょ、ちょっとルーベンス君! 大丈夫?」
「……大丈夫や、ただ単に気絶しとるだけや。歌姫、一体何があった? これほどの男がここまで重傷負わされるとは……」
 不可解だと言わんばかりにライザに尋ねられたリプレスは、一部始終を話した。
 急にルーベンスが動けなくなった事。自分を助ける為に時間稼ぎをしてくれた事。途中で合流してここまで逃げてきた事。ライザはそこまで聞くとルーベンスを背負った。こちらの切り札が戦闘不能となると逃げるが勝ちだ。正直言うとエリエルでも自分の手には負えないと感じていた。そんな輩に立ち向かえるのはこの男しかいないと。だが、その男が行動不能となっては、一旦退却して態勢を整えるしかないだろう。
「よっしゃ、ほなこのまま森をでるで。北はどっちや?」
「こっちだと思います」
 リプレスは先導きって森の中へと飛び込んだ。方向感覚は良いらしい。再び人間の通らない草の道を歩く三人。もう一人は歩けず背負われている。
 どうやら今のところ亡者は近くに居ないようだ。標的であるマリエル殺しの犯人から離れてしまったのだろうか。ヘクセンの事も気になるが、彼女の事だ、きっと無事だろう。しばらく歩くライザ達。するとマリアが樹の蔓に足をひっかけ、転んだ。
「あうー!」
 思いっきり頭から地面に叩きつけるマリア。ここまで綺麗に転ばれると笑うしかない。
「大丈夫か? 頭」
「あ、はい。大丈夫みたいです」
 痛みを隠しながら笑う少女の額には薄っすらと血が滲んでいた。ライザはルーベンスを地面に下ろすと、ポケットからくしゃくしゃのハンカチを取り出した。
「ほれ、これでも巻いといたろ。血もすぐに止まるはずや」
 そう言うとマリアの前にしゃがみこみ、彼女の頭に白のハンカチを巻きつけるライザ。別に雑と言う訳でもなく、また綺麗にと言う訳でもなく巻かれたハンカチ。血の赤がハンカチにじわじわと滲み出てきた。マリアはぺこりと頭を下げる。
「ど、どうもありがとうございます」
「何、礼なんぞ要らんて。世のためヒトの為。それがワイら教会の人間のやる事やろ」
「ああ、そうだね……」
 ライザの背後から不意に声が聞こえた。横にしておいたルーベンスが起き上がろうとしているのだ。しかし、すぐさまライザの裏拳が少年神父の顔面にクリーンヒットするかと思うと、ルーベンスは短い悲鳴の後、また地面に横たわった。
「怪我人は寝とき。絶対安静やろ」
「いや、実は怪我自体はもう治ってるんだ……ホラ」
 横になりながらも手首を振って見せる。確かによく見ると先程まで傷だらけだった全身の傷がなんと塞がっている。出血もいつの間にか止まっており、意識もはっきりしているらしい。だが、服についた血痕はその出血量が半端ではない事を物語っていた。その証拠に表情は相変わらず青ざめており、かなり辛そうである。
「な、何でや?」
「これが僕の体質。前に言わなかったっけ? 死ねないって」
「確かに、そんな事言うとったな」
「とにかく僕は放っておいても死なない。あとライザ、僕気付いたんだけど」
「お前もか?」
「うん。多分この森にはマリエルを殺した奴等の誰かが居るよ」
 ルーベンスとライザの意見が一致した。これはこの森にマリエル殺しが居ると確信して良い。ライザは立ち上がった。
「お前が戦えるんやったら別や。逃げようかと思うたケド、行くで」
「うん、分かったよ」
 ルーベンスは何とかよろよろと立ち上がった。傷は完全に塞がっているのに、何故彼はこんなにも疲労しているのだろうか。ルーベンスは一歩一歩と歩き始めるが、数秒もせぬ間にふらついて転んだ。リプレスが急いでルーベンスを抱き起こす。
「大丈夫ですか!」
「うん、ちょっと力がでないだけだよ。心配ない」
「力がでぇへんってどう言うこっちゃねん! あの化け物じみた力も使えへんって事か!」
 ライザの問いにルーベンスは力ない微笑みを浮かべて頷く。
「ごめんね、足手まといになって」
「ワイはそう言う事を言うてるんとちゃう。無理して立ち上がろうとすな。怪我人なら怪我人らしく大人しくしとけっちゅーこっちゃ」
 深くため息をついたライザに変わってマリアが尋ねる。
「でも、どうしてなのぉ?」
「え、いや……その、ちょっと、霊力が足りないだけだよ」
「ん? よう聞こえんかった。も一回!」
 ライザが耳に手をあてて聞きなおす。聞き間違いでないとすればたちの悪い冗談だ。解答を少し待っていると、やがてルーベンスは決心したかのように叫んだ。
「霊力が足りないんだよ。だから動けないし、ミディアンズも使えない」
「……霊力、やと?」
 黒衣の神父の表情が驚愕の色を示す。その横に並んでいる歌姫も、見習いシスターもまた同様だ。
 霊力『アストラル』――悪魔達が持つ特有の力の波動。
 彼は、その霊力がないと動けないと言ったのだ。つまり、それは彼が悪魔である事を意味していた。
「ルーベンス、お前……」
「ごめん、隠してて」
 ルーベンスはそう呟くと、右腕で顔を隠した。しばしの沈黙が彼等に訪れた。誰も喋ることはできまい。当然だ、ライザとマリアにとって悪魔を含める亡者とは敵対関係である。すると、意外な一言が沈黙を打ち破った。
「その霊力、どうやったら回復できるんですか?」
「え?」
 ルーベンスの瞳が丸く見開かれる。リプレスは強い決意を宿らせた瞳でルーベンスを見つめていた。今までされた事のない質問だ。ルーベンスが唖然とするのも無理はない。すると、彼女の提案に続いてきたのはマリアだった。
「そうだよ! その霊力ってどうやったら補給できるの?」
「マリア……」
 泣きそうな顔で見習いシスターを見るルーベンス。そして最後にライザが呟いた。
「お前はワイ等の切り札、ジョーカーや。こんなトコで寝とられても困る。霊力の回復、どないするんや?」
 ルーベンスは小さく頷くと、リプレスに支えられゆっくりと体を起こした。そして忘れていた何かを思い出すように目を閉じ、呟いた。
「僕等、悪魔の霊力の源は人間の生き血なんだ」
「生き血、か。でも誰から貰うねん。ワイら、全部血をやる訳にはいかんで」
 ライザが尋ねる。ルーベンスはだるい身体に鞭を打ち、立ち上がった。人間の生き血、ここにいる人間は三人。これなら全てをもらわずとも十分だ。ルーベンスは続ける。
「少量でもいい。皆の血を、分けてくれないか」
 三人はきょとんと顔を見合わせた。答えは言葉を交わすまでも無く、一つである。ライザはポケットから携帯式のナイフを取り出した。
「ほれ皆、これで指、切りな。血分けたれ」
「は、はい」
 最初にナイフを受け取ったのはリプレスだった。が、彼女はひょっとするととんだおっちょこちょいなのだろうか。勢い余って指を切るどころか手の甲を切ってしまった。
「あ、ああっ!」
 血が流れ、慌てまくる歌姫。すると、ルーベンスはリプレスの前に跪き、その手の甲に唇をそっとあてた。触れるか触れないかの暖かい感触がリプレスをこそばゆい感覚に追いやる。だが、次の瞬間手の甲に違和感を覚えた。腕を滴り落ちる血液が一滴も無かったのだ。手の甲に染み付こうとした赤も消えていた。
 全て、ルーベンスの唇が奪い去ったのだ。口の中に飲まれていったというよりは、唇がそのまま吸い取ったと言うような感触だった。柔らかくて、痛みも無い。だが、少し体の芯が高揚するような感覚に襲われる。それと同時におかしな感情がこみ上げてきた。真っ黒な闇。心の中にそんな空間が生まれた気がした。いや、元からそこにあったものが大きくなったと言っても良い。
 ――違う、これは私の感情じゃない?
 リプレスは自分で激しく首を振った。これは、こんな闇は自分の心の中にはない。たくさんの悲しみ、苦しみ、そして痛み。でもそれを振り切れずに悩んで苦悩する闇。これはきっと彼の物だ。高揚する意識にリプレスが確信を得る。すると、急激に心臓が高鳴るのを感じて、素早く手を引いた。
 ルーベンスは顔を真っ赤にしている歌姫に微笑みかけると、やっとしっかりと立ち上がった。
「……見たんだね。ありがとう」
 そう言うルーベンスの顔色は大分よくなり、いつもの笑顔が戻っている。リプレスはその表情を見ると安堵して胸をなでおろした。
「良かった……」
「この分やと、ワイらの血はいらんなぁ? 嬢ちゃん?」
「そう思いますねぇ〜」
 二人はにやにやしながらルーベンスを見た。すっかり元の状態に戻っていたルーベンスは、その二人を不思議そうにみた。そしてさり気なく懐から清潔そうな純白のハンカチを取り出すと、そっとそれをリプレスの傷口に巻いた。
「お前、そんなモンいつも持ってるんかい」
「うん。怪我人はいつでるか分からないからね」
 丁寧にハンカチを手の甲に巻きながら、ルーベンスはリプレスに微笑んだ。歌姫は再び思わず頬を赤らめるが、和やかな雰囲気はすぐに崩れ去った。短い悲鳴と共に、マリアが背後から妙に馬鹿でかい亡者に口を押さえられ、捕らえられてしまったのだ。その姿は良く鍛えたレスラーを思わせる。瞬時に気付いたルーベンスとライザは振り向きながら各自の武器を構えた。リプレスは呆然としていた。何が起きたかすら分かっていなかった。
 銀狼と回転拳銃に睨まれた、やたらと筋肉質な亡者は微動だにしなかった。その怪力の腕の中でマリアは一生懸命にもがいていた。
「マリアを放してくれ!」
「ドアホ! 死人に口なしじゃ! アイツは喋れんし、ワイら言うとる事も理解してへん! 最も、理解しようとも思うてへんやろ」
「致し方ないね! 行くよライザ」
「応よ」
 二人が銃爪を同時に引こうとした時、マリアが肩をつかまれ盾のように抱えられた。思わずトリガーを引き絞ったルーベンスは慌てて照準を明後日の方向に向ける。銃弾は当たらなかったものの、戦局はまるで変化を見せていない。見習いシスターは足をジタバタするが、魂の無い怪力には敵わない。人質をとられてはトリガーを退けない。だが、ライザは違った。一向にリボルバーを下ろそうとしない。
「ライザ、撃つな! マリアに当たるかもしれないじゃないか!」
「ルーベンス、動揺したら負けや」
「馬鹿言うなよ! 冗談だろ!」
「そっちもアホ言うなよ。冗談なわけないやろうが」
 彼の瞳は真っ直ぐに大男の屍を見つめていた。微妙な標準を変更するように腕が小刻みに動いている。
 ――震えているのか?
 ルーベンスはじっとその様子を見守った。先程のリプレスの血を吸ったおかげだろうか。何故かいつもより身体中に力が湧きあがる感覚がある。これならあの少量の血液でもミディアンズを開放する事も出来るだろう。
 だが、ルーベンスはあえて手を出さなかった。一度、ライザの腕前をしっかりと見ておきたかったのだ。ここで銃弾がマリアに当たりでもすれば、彼とはお別れ。その程度の男だと言う事だ。また、銃弾が大男の屍を見事撃ち砕けば、それはそれで良し。
 ルーベンスのライザに対する初めての力試し。ライザはしっかりとトリガーに指をかけた。
「精霊と神の御名において。アーメンや!」
 大きく目を見開き、ライザはトリガーを引き絞った。シリンダーが素早く回転し、撃鉄が叩きつけられ、銃口から銃弾が押し出される。
 ――命中。
 そのまま直進した銃弾はマリアの頬をかすかに掠め、確かに亡者の心臓に大きな穴を空けた。恐らく再びマリアを盾にしようとでも思っていたのだろう。だが、僅かにライザの銃弾が勝ったと言う事だ。黒衣の神父はガッツポーズを決めて指先でリボルバーを回した。
「よっしゃあ!」
「す、凄いです」
「いや、まだだ!」
 リプレスは一生懸命拍手する。しかし喜ぶにはまだ早い事を知り、ルーベンスが警告を飛ばす。力を失った屍の腕から解放されたはずのマリアの様子が妙だ。床に倒れたままぐったりとしている。ぴくりとも動かない。リプレスが心配そうに彼女に近寄るが、ライザが彼女の異変に気付き叫んだ。
「歌姫! "ソイツ"に近寄ったらアカン!」
「……え?」
 マリアのガントレットがゆっくりとリプレスの額に突きつけられた。ぞっとする冷たい鉄の感触。気付いた時にはもう遅い。マリアの瞳には光が宿っていなかった。
「逃げろ!」
「……!」
 動けなかった。
 ――リプレスっ!
 轟音が耳元で鳴り響く。だが、自分の顔を吹き飛ばすはずだった銃弾は当たっていない。頬を鮮血が掠めた。その血が、自分を突き飛ばして倒れ掛かったルーベンスの脇腹から噴出したものだと気付くのに、少しの猶予が必要だった。
「ルーベンスっ!」
 リプレスが悲鳴をあげた。ルーベンスは脇腹から流れる血液を押さえながら手をついて起き上がった。口からどす黒い血が零れる。これでは先程もらったものも無駄になってしまう。自嘲をこめた笑いでリプレスの肩を優しく叩いた。
「大丈夫、弾は貫通してるし、傷もすぐ治るから」
「でも……!」
「気をつけろっ! マリアはまだ正気とちゃうんやぞ!」
 ライザは叫びながら必死に辺りを見渡す。明らかにあの少女の瞳は何者かに操られているものだ。となると当然近くに操演士がいるはずだ。人間を操ろうなど、相当離れた場所では出来ない芸当だ。ならここから見渡せる範囲で――。
 ――あった。
 恐らく彼にしか分からないであろう、その影は視線に気付いたのかぴくりと動いた。ライザが腕を振り上げたかと思うと、その手に握られた得物から即座に轟音が放たれる。だが、銃弾は標的に当たる事無く、背後の樹の一部を深々とえぐった。影が移動する。だがライザの瞳はその影を決して見失ってはいなかった。右手に握られている旧式回転拳銃でしっかりと狙いをつけ、構えた。
「逃げようたって無駄やで。ワイの"グリーンアイ"からは」
『……!』
 マリアが再びガントレットを持ち上げる。その銃口の先にはリプレスのこめかみが。ルーベンスも銃口を振り上げ、マリアのガントレットを狙っている。更にライザは樹の茂みに隠れる標的を狙う。
 ――嫌な沈黙が続いた。
 決して誰も動こうとはしない。一触即発。誰かが撃てば、沈黙を打ち破る戦闘が開始される。ライザに遅れ、やっと捕らえる事が出来た"影"を横目に、ルーベンスは冷や汗を顎から落とした。出血はもう止まっている。後は傷口が塞がるのを待つだけだ。顔をあげる少年神父。ルーベンスはその化け物じみた超視力で、捕らえた影を見つめた。"影"からは殺気以外の感情がまるで感じられない。全てのモノに絶望し、全てを滅ぼす事しか考えていない破壊神のようだ。
 ――するとある一人の男の姿が瞳の奥に映し出される。またもや悪魔に魅入られた一人、マリエルを殺害した五人組の1人。
 名はバッカス・ルドルファー。特務機関『セラフィム』の神父"だった"男だ。彼は神父だった頃から戦闘能力は高かった。彼の武器は背筋の凍りつくような殺気と共に放たれる剣術。ルーベンスはゆっくりと唾を飲み込み、その名をぽつりと呟く。
「……バッカス」
『ルーベンス、殺ス』
「(何やこいつ、殺意しか無いんか?既に"人間ですら無い"とでも言うんか?)」
 ライザは照準を微動だにさせず、真っ直ぐに影を見つめた。漆黒の神父の右眼はいつの間にか漆黒から鮮やかなエメラルドに変色していた。彼の瞳は、さすがに表情の確認までには至らないが、形だけはしっかりと映し出されていた。背筋がちりちりと痺れる。
 ――殺気。
 目の前にいる影は人間じゃない。元は人間だったが、ほぼ亡者に近い存在になってしまったようだ。エリエルの場合はまだ感情が残っていただけ"人間らしい"と言えばそうなのだが、彼の場合は違う。殺戮以外、何の思考も確認されない。ただ、静かな時間が流れていた。
 ――嫌な空気や。
 ライザは軽く舌打ちした。そして一瞬、影から視線をそらした。影は横目で見ても動く気配は無い。だが、ライザは別の事実に驚いていた。
 ――二人目がいる!
「ルーベンス! マリアの丁度後ろや! 撃てっ!」
 ライザの声が鼓膜を叩いたのと同時に、ルーベンスが握り締めていたシルバーウルフの照準がマリアのガントレットから跳ね上がった。変わってポイントされた場所は、指示通りマリアの背後だ。
「当たれ!」
 銃爪を力強く引き絞る。吐き出された轟音は一つ、銃弾は六つ。たった一発の銃弾で撃ち抜く自信は流石に無い。ライザの言葉を信じてこその行動だからだ。マリアの左右ギリギリを通り抜けた六発の銃弾の内一発が、隠れていた"操り師"の右肩を偶然にも撃ち抜いた。くぐもった呻き声が命中した証拠だ。
「やった!」
 マリアは糸が切れた操り人形のように地面に倒れたのと同時に、今まで静まっていた緊張感が一気に解き放たれる。ルーベンスが放った銃弾が命中した途端、ライザの回転拳銃が轟音を放つ。隠れていた影は銃弾を避け、茂みの中から飛び出て、一気にライザの懐まで潜り込む。抜刀の構え。右手にはもうしっかりと刀の柄が握られている。このまま斬られるか? 否、そう簡単にくたばるわけにはいかない。いつの間にか掌に出現していた短銃がライザの腹で数発の爆音をあげた。至近距離で放たれた銃弾を、抜こうとした刀の刃で全て受け流し、後退するバッカス。ライザの反射能力もデタラメだが、銃弾をあの刀で受け流す彼の技能もデタラメだ。思わず不敵な笑みを溢すと、ライザは煙草をくわえた。相変わらず火はつけない。
「さて、ようやっと姿見せたところで、戦闘開始といこか?」
「オ前、殺ス」
「まあそう殺気立つなって。クールにいこうや」
「クールじゃないじゃん」
 ルーベンスがぼそっと呟いた。ライザは勿論聞き逃してはいない。
「ああン? 何か言うたか、ルーベンス」
「何でもないよ。僕はこっちを叩く。君は……」
「分かっとる。こっちは任せて安心せい」
 ライザはシリンダーの中を即座に交換する。勿論、短銃のマガジンも同時に交換済み。そしてバッカスを睨みつけた。
「五分や。お前の命はあと五分で消えうせる」
 男の宣言とほぼ同時に、エメラルドグリーンの右目がぎょろりと疼いた。

                                  『BRAND NEW START』  END