―― 『2』 ――
『EAT A DEINNER』
氷河の森。
ゼブルの南方地域を埋め尽くす白の樹海。生き物の気配は全く無いと言ってもいい程、静まり返っている。なにしろ一年中気候が『冬』なのだから、生き物が住めないのも当然である。
しかし、その静寂を乱す何者かが最近どこからともなく現れた。寒気をものともせず、ただ荒廃させるためだけの存在。
――亡者。屍の兵隊。人間を喰らう人間でないもの達。
いつ頃からだろうか。『彼等』の不気味な呻き声はいつしか森の全土を埋め尽くして行った。『教会』の必死の処理も実り、徐々に数を減らしていったにも関わらず、『彼等』は決して死に絶える事がなかった。いや、この表現はおかしいのかもしれない。『彼等』は既に命を無くした存在だ。
現在、大量の亡者がこの国の教会組織の手には負えなくなり、今回派遣されたのが彼、ルーベンスである。他にも回らなければならない国は沢山あるのだが、彼がここ、ゼブルに来たのは、自分の所属する機関『セラフィム』の存在する国である『聖王国 マルクト』から一番近い場所に位置していたからである。何とも単純な理由ではあるが、彼なりに考えて来たと本人は言っている。あくまでも本人は、だが。そして当然の如く(運良く)、マリエルを殺害した五人組の一人、エリエル・ドルセンを見つける事ができたのだ。ちなみに重ねて言うが、ルーベンスに言わせると、計算通りらしい。
そして今、彼はこの静かな森、死の異臭が立ち込める氷河の森を歩いていた。予定の変更で、本当は昨日のうちに捜索するつもりだったのだが、あまりに森が吹雪いていた為に撤退。改めて午前の内に赴く事になったのだ。この異常気象も、恐らくは教会の裏切り者、エリエルによるものだとルーベンスは踏んでいる。
幸いだったのは、辺りに屍の兵士たちの気配は無く、森は珍しく静まり返っていた事である。別に用心する必要も無く、ずかずかと歩いて行く彼を見てヘクセンは言った。
「ルーベンス。いくら敵が撤退したからと言って油断は禁物よ」
こんな事を言っても無駄な事は分かっている。彼がどこか焦っているように見えたからどうしても心配になったのだ。理由は大体予想がつく。裏切りの聖職者、エリエルは三日後、ゼブルを地図上から消すと言ってのけたのだ。ルーベンスはそれを阻止しようと躍起になっているのだろう。一国が戦場になると言う事は、どれだけ被害がでるか計り知れたものではないからだ。それに、ランスの事もある。
「分かってる。でも、不意打ちを喰らっても僕が死ねないのは知ってるだろ?」
ルーベンスはずっと前を向いたままで呟いた。ヘクセンはやれやれと後を追う。
氷河の森を更に南に行ったところに、ヘクセンが捜索した奴等のアジトがあるのだ。二人は今そこを目指していた。
本当に静かな森。聞こえるのは遠くの方で流れていく風の音。風には小さな雪が混じっているらしく、寂しそうな音色を奏でている。もう何分歩いたのだろうか? ヘクセンは視線を上げ、前を歩く神父の小さな背中に背負われた大きなコンテナを見ながら考える。
彼はと言うと、ただひたすら歩いていた。ヘクセンは彼にかける言葉を選ぶように、今度は顔をあげた。しかし、突然声をかけてきたのは彼の方であった。
「ねえ、ヘクセン」
従士は喉元まで出掛かっていた言葉を飲み込み、少し戸惑ったが、できるだけ自然に答えた。
「何?」
「あのヒト達も、僕を化け物って言うのかな」
表情は見えないけれど、分かる。空を見上げて悲しげに微笑みを浮かべながら呟く、いつもの言葉だ。
いつも問われている事だが、ヘクセンはすぐ言葉を返せなかった。
あのヒト達。先日、共に戦い、彼の正体を知ったあの二人だ。
ルーベンスがこの雪道を歩いて考えていたことは、自分が所属する機関の上司達のように自分を化け物呼ばわりしないかだ。恐らく、考える事が多すぎて、彼自身も途方も無く迷っているのだろう。
自分の存在を認めてくれるヒトが居るのはとても嬉しい事だから、そうして相手を信じる事が出来るから。彼はそれが一番わかっていた。痛みを知っているから。どれだけ辛い事かが分かるから。
だからこそ、彼等にも化け物呼ばわりされたくなかった。
自分の友人の大切なヒト達である。守りたい、彼の愛したヒトを、彼の愛した国を。
ささやかな願いだ。いつも祈る願いだ。きっと理解してもらえる日が来る。
ヘクセンはルーベンスのそんな心情を察しながら、言葉を返した。
「大丈夫よ、きっと。話せば理解してくれるわ。マリエルも、エリスも……皆そうだったじゃない」
「……うん。そうだね」
少年はこの森に入って初めて振り向いた。
とても嬉しそうな笑顔で、彼女を見た。迷いの一つは晴れたらしい。ヘクセンは、笑顔の主に微笑むが、何かを感じ、すぐに真剣な眼差しへと代わった。ルーベンスも彼女の表情を見て、再び前を向く。
眼前には、地下へと続く入口が、ぽっかりとその暗闇へと少年を引きずりこむように口をあけていた。
雪でカモフラージュしたつもりなのだろうか。階段の周りには雪が積み上げられていたが、積もりすぎて逆に怪しかった。
ルーベンスは懐から携帯式の通信機を取り出し、ヘクセンに投げ渡す。
「本部に連絡。これから反逆者の一人、エリエルを抹消しに行くって」
「それと、ミディアンズの使用許可もね?」
主の要求を読み取った使い魔は尋ねる。少年神父は笑顔で頷いた。
「じゃあ、僕は先に突入するから、ヘクセンは連絡が終わったらきてね」
「了解」
「また後で」
ルーベンスはそう言って階段を静かに降り始めた。手の中には、いつの間に抜きさったのか、銀光放つ拳銃がしっかりと握り締められていた。
今はもう居ないランスが教えてくれた教会の倉庫から弾丸は拝借している。
――それにしても暗い。地上から漏れていた光は既に失われている。次の足場を慎重に確認しながら階段を降りて行くルーベンス。ひんやりとした空気が僧衣を通って徐々に体の中へと浸透していく。
「どこかに明かりはないのかなぁ……」
見えない視界を必死で動かすルーベンス。だが、周りは闇。本当に何も見えない。たいまつの様な物も何もない。
するとルーベンスはある事を思い出した。
「あ、そうだそうだ! 確かあそこで拝借したライターが……」
そう言って懐からライターを取り出すルーベンス。火をつけ、それで辺りを照らした。
「やっぱり持ってきて正解だったね」
ランスの墓に供えられていたライターを拝借したルーベンス。このライターは恐らくライザが供えた物だろう。そんな想いのこもった物を取るなど、とても聖職者とは思えない。が、しかし。ランスは煙草を吸わないのでライターは必要じゃないはずだ。そう勝手に解釈した少年神父は、何かの役に立つと思いライターを拝借してきたのだ。勿論、ちゃんと後で元の位置に返すつもりである。
「さてと、見やすくなったところで先へレッツゴ……おお?」
ルーベンスの足が何かを踏み潰す。恐る恐る床を見下ろすルーベンス。踏みつけたものは感触で大体分かる。この湿った骨を砕いたような感触は……人間の頭蓋だ。しかもかなり劣化したもの。
「う、うわ……っ!」
思わず階段をバックステップで駆け上るルーベンス。しかし途中で足がもつれて尻餅をついてしまった。
「ま、全く! 掃除もしてないのか、ここは!」
――当然している訳が無い。
ルーベンスは立ち上がり、再び階段を降り始めた。ライターの炎が暗闇をほのかに赤く照らす。
「(それにしても静かだ。まさか、罠じゃないよね)」
ルーベンスがそう思ったその時、下の方で明るく光る何かを見つけた。
それは部屋だった。部屋の扉からわずかに明かりが漏れていたのだ。あそこがエリエルの住処なのだろうか。
ルーベンスは銀銃『シルバーウルフ』のスライドを引く。戦闘準備は完了。
階段の一番下まで降りてきたルーベンスは扉を前に深呼吸する。突入準備も完了。
心の中で一,二,三とテンポ良く数え、扉を思いっきり蹴破った。部屋の中へ侵入した神父は銃を素早く右、左と振る。
――標的は見あたらない。
不思議には思ったが、その部屋にはエリエルどころか、亡者の一匹すら見あたらない。もぬけの殻というやつだ。結局、神父の銃から弾丸が発射される事はなかった。
少しして緊張の糸が切れたのか、ルーベンスはへなへなとしゃがみこんだ。
「居ないじゃんか。驚かせないでよね」
ルーベンスは銃をホルスターにしまうと、この小さな空間を物色し始めた。机の上には火の点きっぱなしの蝋燭に、飲みかけのコーヒーが入ったカップ。この部屋の温度だ、既にコーヒー自体は冷めてしまっている。整った部屋からは、別に慌てて逃げたと言う気配もない。タンスが置かれていたり、水道まであった。雪解けの水を利用していたのだろうか? とりあえず、まずは一番気になったタンスをルーベンスは調べる事にした。一番上の引き出しを引いてみる。一気に引いて、その部分だけを床に下ろした。女物の衣服ばかりである。それらを一枚一枚調べて行くルーベンス。しかし何の手掛かりも無い。二段目、三段目も何も無かった。
残るは四段目。
ルーベンスが恐る恐る引き出すと、引き出している途中でカチッと不穏な音が聞こえた。確かにタンスの奥から聞こえてきた音である。ルーベンスは急いで踵を返し、階段を駆け上がろうとした。しかし、閃光。そして爆風と衝撃。爆発の轟音は最後に来た。階段の上から、轟音に驚いたヘクセンは暗闇に目を凝らしていた。すると暗闇を切り裂き赤い閃光、そして離れていても分かる熱気が一気に下層から立ち上ってくるではないか。
「爆発!」
ヘクセンは階段から飛び退き、雪の上に伏せる。階段の中から舞い上がった炎はしばらく空を彷徨い、消滅。立ち上った熱気も、雪で瞬く間に冷却された。遅れて地面が震動する。衝撃と爆音は最後に空へ逃げて行った。
階段の下で爆発が起こったと言う事は……ヘクセンの脳裏に主の安否が過ぎる。
「ルーベンス!」
「あ……うう、痛かったぁ……いや、むしろ熱かったぁ……!」
階段から少し離れた雪の下から真っ黒な人影、ルーベンスがずるずると這い出てきた。恐らく最後の衝撃に押され、一緒に入口から出てきたのだろう。ヘクセンは雪まみれのルーベンスをみて唖然とする。耐火性の僧衣は焼け焦げ、顔もすすで汚れている。が、不思議な事にどこにも外傷はない。火傷もしていなければ、肺が熱風でやられた様子も無い。
少年神父はにこにこと笑顔でヘクセンを見た。
「あはは。死ぬ所だったね」
まるで死を知らないような言い草であった。
「え、ええ。大丈夫なの?」
「だから言ったじゃんか。僕は死ねないんだって」
ふと悲しそうな微笑みを浮かべた主。従士は複雑な表情で彼を見た。
「不死身の体。やはり何度見ても慣れないものね」
「慣れてほしくもないし、僕自身慣れたくないんだ」
あははと笑うルーベンス。
もう彼とは"こちらの世界"に呼び出されて何年もの付き合いだが、未だに彼の体質を見る事に慣れる事はできない。
――不死身の体。彼は何度でも死ねる代わりに、絶対死ねないのだ。
どんなに傷を負っても、腕を引きちぎられようが、身体を粉々にされようが、いつかは再生したり、くっ付いたりしている。ただ痛みはある。難儀な話だった。
起き上がったルーベンスにヘクセンが尋ねた。主の顔には火傷の跡も無い。
「それで、どうだったの?」
「ああ、罠だったみたい。タンスの引き出し開けた途端にドッカーン! ってね」
大袈裟な身振り手振りでルーベンスが説明する。まあ、あの爆発を見れば、どれだけ普通の人間なら一大事かはある程度想像が付くだろう。
「そうだったの……」
ヘクセンはその報告に表情を暗くした。それも無理はない。自分が尾行していたアジトが既にもぬけの殻だったからだ。するとそんな従士の落ち込んだ気分を察したのか、ルーベンスが優しい微笑みで励ます。
「大丈夫、すぐに見つけられるよ。それに、収穫が無かったわけじゃない」
「……収穫?」
ヘクセンは首をかしげる。
少年神父は焼け焦げた僧衣の懐から金色に輝いていたのだろう。今は黒くすすけたペンダントを取り出した。そのペンダントに刻まれていた印は……
「この紋章、北のミクトランの……」
「うん。あの亡者の国の紋章だね。多分、一度国に戻って態勢を立て直してるんじゃないのかな。前回の戦いで僕らが大半の亡者を浄化しちゃったしね」
ルーベンスは黒くすすけた銀の銃に息を吹きかエリスがらすすを払っている。大事な銃まで黒コゲにされてはたまったものではない。頭の中では再び増援を得て戻ってきたエリエルにどう対するかを考えていた。
「あちゃー折角のシルバーウルフが……特注品なのに」
「後で磨いておくわ。貸して頂戴」
「うん。いつもありがとね」
ルーベンスは微笑みと共に黒く染まったシルバーウルフをヘクセンに手渡した。ヘクセンはそれを受け取ると服の袖へ銃を収めた。ルーベンスはペンダントを再び懐に収めると提案する。
「とりあえず、宣戦布告で二日後にグラッシャーに攻めてくる事は分かってるんだ。対策ならまだ練る時間がある。とりあえず、一旦町に戻ろう」
「ええ。そうね」
ここで成すべき事は既に無い。二人はもと来た雪道をまた歩き始めた。そして町へ戻ってきた二人は教会を訪ねる事にする。理由は二日後、いや、もう明日にでも始まる戦闘準備についての作戦を提案しに来たのだ。
教会の大きな扉を叩くルーベンス。しかし返事は無い。当然だ。まだ午前四時である。街はどこも静まり返っている。ランスを失い、教会から流れる空気は、街まで悲しみに包んでいるようだった。ヘクセンは扉を見上げながら呟いた。
「まだ疲れて眠っているのも無理ないわ。夕方、あれだけ泣いていたのだから」
「……そうだね。でも、僕らにも時間が無いのは確かなんだ。多分、ヴァイドなら起きてるハズだよ」
ルーベンスは大きな扉を押し始めた。鍵がかかっている扉は一行に動かない。しかし、少年神父は押し続けた。すると、押し続けるうちに扉が軋む音が聞こえてきたではないか。みしみしと木製の扉に亀裂が入っていく。破砕音と共に鍵穴がついに扉から離れた。周りの木の破片をもろとも、引きちぎりながら鍵が床に落ちる。鍵を失った扉は簡単に押し開ける事ができた。
「……お邪魔します」
「相変わらず滅茶苦茶ね」
「仕方ないよ。緊急事態だ」
「緊急事態で全てを片付ける貴方が恐ろしいわ」
ヘクセンは呆れながらも主を見る。しかし、いつもの事なのでこれぐらいの事は慣れてしまった。とんでもない怪力である。この小柄な体に一体どうすればあんな力が宿るのか。
「さてと。ヴァイドを探すかな」
「その必要はねぇぜ」
天井に巨大十字架がぶら下がっている部屋、大聖堂。とても長くて幅の広い机が二つ並ぶこの部屋。そして、部屋の奥には大司教、ヴァイドが腕組みして立っていた。少なくとも歓迎してくれているわけではなさそうだ。
「こんな時間、教会に何のようだ? ルーベンス」
「二日後の対亡者戦の作戦を提案しにきたんだ。聞いてくれるかな」
「ヘっ、化け物の話が聞けるか?」
その言葉を聞いた時、ルーベンスの心がずきんと痛んだ。また呼ばれてしまった、化け物と。ヴァイドは巨大拳銃を腰から抜き取っていた。そして標準をルーベンスに合わせる。
「亡者に限らず、化け物を処理するのも俺ら、教会の人間の仕事だぜ? なあ、ルーベンス」
「……」
ルーベンスが下を向いて黙っていると、彼の前にヘクセンが立ちふさがった。その瞳には強い意志の力が宿っていた。守る一心、彼女は主の前に出たのだ。
「私が相手をするわ」
「おめぇも化け物だな。魔力を感じるぜ」
ヴァイドは不愉快そうに唇を歪めてみせた。漆黒の狩人は淡々と言葉を返す。
「お喋りは結構よ。貴方がルーベンスを殺すというなら、私はそれを命懸けで阻止するわ」
「化け物同士の友情って奴かい? ハッ! 笑わせてくれるぜ」
一向に銃を下ろそうとはしないヴァイド。ヘクセンもまたルーベンスの前から動こうとはしなかった。
――すると、少年神父は呟いた。
「僕は確かに化け物だ」
「……」
ヴァイドの眉がぴくりと動いた。ルーベンスはうつむいたまま苦しそうに言葉を絞り出していく。
「でも、僕は守りたい。化け物だけど、僕を守ってくれるヒトを、街を。優しくしてくれた友達の街を、綺麗な歌を歌うヒト達を」
絞り出された声は弱々しい。だが、その言葉の一つはずんとした意思の重みをしっかりと宿していた。
「今大事なのは二日後、この町が無事でいられるかどうかって言う事じゃ無いのか? 僕は確かに化け物なのかもしれない! でも、ヴァイドさんと同じ、危険から人々を救いたいって思うのは僕だって一緒なんだ。たとえ、君達が協力してくれなくても、僕は一人でもエリエルを止めてみせる!」
ルーベンスは高鳴る鼓動を肩で抑制し、くるりとその場で向きを変え、教会を出ようとする。言いたい事は言った。協力が得られない今、一人だけでもエリエルはとめなくてはならない。一人でもやらなくてはならない。守るのだ、ランスの愛した街を。
一歩踏み出す少年。しかし、
「待ちな」
立ち去ろうとするルーベンスをヴァイドが引き止めた。いつの間にしまっていたのか、銃はすでに腰に提げたホルスターにねじ込まれている。
「手を貸すぜ。おめぇさんの意思、気に入った」
「……ヴァイドさん」
「ただ、作戦を考えんのはてめぇがしろよ。俺は専ら戦闘が得意なだけで頭の回転はわりぃんだ」
照れくさそうに口を尖らせるヴァイド。ルーベンスは顔をあげて頷いた。
「うん、任せてよ」
ルーベンスは満面の笑顔でヴァイドに礼をした。
――ありがとうと、ごめんなさいを込めた礼を。
そしてその日の朝、教会職員が全員起床した所で、早速、作戦会議は大聖堂で行われた。ライザも教会へ帰ってきて、彼を含む八人で相談する。ルーベンスとヘクセン。ヴァイドは勿論の事、アグネスも居る。後の三人は、このゼブル地区での教会組織上層部の人間だ。
天井に吊るされた巨大十字架はその会議の様子を見守るように輝いていた。
「二日後、あの屍を操る女はここ、ゼブルに仕掛けてくる。そこで、こっちのルーベンスから提案があるみてぇだ」
ヴァイドが一行の顔を見ながら言う。紹介されて、ルーベンスが立った。
「亡者を操っていたのはエリエル・ドルセンと言う女性で、特務機関『セラフィム』の聖母、マリエルを殺害した五人組の一人です。強さは僕が保障します。油断すれば一気に潰されるからそのつもりで」
「そんな事はどうでも良い! 肝心なのは明日どうするかだ! 我々が生き残る確率は!」
老いた教会上層部の男がルーベンスに言う。いかにも意地悪そうな表情。しかし別にルーベンスは嫌いではなかった。と言うより、地元でもこういう人間との付き合いはあったので、喋るのには慣れていた。
「それから、明日の話に入りますけど、エリエルは何も考えずに攻め込んでくるタイプだから氷河の森から一気に町に攻め込んでくると思います。だからそこを一点、死守すればなんとかなる」
「それは予想の話であろう! 勝利を断言できぬ作戦など無意味だ!」
またもや老人神父が異議を唱えた。それに対してルーベンスは相変わらずの笑顔で続ける。だがその瞳には何か人間とは別の、そんな何かの気配をさせる眼光を宿していた。
「じゃあさ、『君』はあの子がどこから来るのか、分かるって言うのかい?」
「……それは」
射撃されそうな視線を受け止めようとして、それに失敗した老人神父は黙り込む。分からないのだ。ルーベンスは勝ち誇った笑みでヴァイドを見た。
「どう? 南に兵力を集める価値はあると思うけど? あくまで僕の予想だけど」
「よし。それでいいだろう!」
「ちょい待ち」
次に異議を唱えたのは老人神父達でもアグネスでもなかった。
――ライザだ。
ポケットからボロボロになって折れ曲がった煙草を取り出すと、それをくわえ、懐からライターを取り出して火をつける。
「それはええねんけど、もし南からホンマにこんかったらどないする? 東西北。可能性は一つとちゃうで」
「だからあの子の性格を考えたら……」
反論しようとするルーベンスにライザはくだけた笑いをこさえながらすかさず訂正した。
「何もワイは南がアカン言うとるんとちゃうねん。南に兵力を集結させるんもええけど、兵力は均等に分けた方が効率ええんとちゃうか? 全方位に警戒態勢をとれば、それだけ敵の動きも分かりやすくなる。攻めてきたところに他の兵を集めて食い止める。どうや?」
確かにライザの言っている事は正論だった。もし、エリエル自身が南からやってきても、亡者のみを東西北から送りつけてきた場合を考えると大変不利である。その場合、戦力を分担させなくてはならないが、安全と成功率を考えるとそうするしかないだろう。
ルーベンスは答えをまとめてライザに立案する。
「じゃあ、南を重点的にガード。他の方位は各教会員を均等に配置ってのでどう?」
「それでええんちゃうか」
ルーベンスの提案はライザを頷かせた。続けてアグネスが兵力分担について話を進める。
「南を重点的に……とおっしゃりましたが、やはり南にはここに居られる皆様で行くのですか?」
「うん。僕はエリエルを倒さなきゃならないし」
「ワイも強い相手と戦う方がおもろいし」
「俺はこの前の戦いで死んでいった部下達の弔い合戦もしてぇしな」
ルーベンス、ライザ、ヴァイドが続けて言う。アグネスは各自の言い分を聞いて苦笑しながら再び話を進める。
「でしたら三人は南へ向かってもらうとして、そちらの三人には東西北へと各一人ずつ行ってもらう事にしましょう。あ、わたくしは怪我人の手当てがありますので大聖堂から動くことはできないのですが……ヘクセン様、お手伝いをお願いできますか?」
ヘクセンは突如会話をふられ、一瞬戸惑い、主の顔を窺う。ルーベンスはと言うと、手伝ってあげてと言わんばかりの微笑みを浮かべていた。それを見て、ヘクセンは静かに頷いた。
「では、これで大まかな作戦は決まりましたね」
「後は、準備にかかるだけってか」
と、ヴァイド。それにあわせる様にライザが席を立った。
「ワイはちょい出かけてくるわ」
「おう、夕方までには帰ってこいよ」
「わかっとる」
大司教との気安い会話の後、ライザは軽く右手をあげると、壊れた教会の扉を押し開け出て行った。それと共に、ルーベンスの姿もまた、消えていた。
「……堪忍なぁ、ランス。ここが戦場になってまうかもしれん」
ライザが訪ねたのは氷河の聖域に作られたランスの墓。その前で合掌し、目を閉じる。
「ホンマ、堪忍やで。ホンマ……」
「やっぱりここだったんだね」
背後に気配を感じ振り返るライザ。声でわかっていたのだが、一応姿を確認する。そこには優しい笑顔を浮かべた神父、ルーベンスが立っていた。ライザは立ち上がって向き直る。
「あんさんも、墓参りか?」
ルーベンスは墓を一瞥すると、懐からライターを取り出そうとしていたのを止めた。
「まあ、そんなトコ。昨日はろくに挨拶できなかったしね……」
そう言いながら拝借したライターを帰しに来たとはとても言えないルーベンス。
「そうか……そうかい」
しばらく沈黙する二人。しばらくそれは続いたが、打ち破ったのはライザだった。恐らく彼はあの時から、この事をずっと質問したかったのだろう。ずばりとこちらの目を見据えて言ってきた。
「あんさんは何者や? あの能力と言い、正確な射撃力と言い……人間やないな?」
その問いにルーベンスは口篭るが、切ない眼差しでどこかを見ながら静かに答えた。
「自分が人間ではないって事は分かる。ただ、僕は思うんだよ。この能力はきっと神様がくれた、ヒトを守る為の力なんだって。だから僕はこの能力を明日、存分に発揮するつもりだよ。例え、化け物と呼ばれようが、僕が頑張れば皆助かるんだもん……」
「……挫けてへんな。ワイはそう言う奴、好きやで」
懐から黒い丸眼鏡を取り出しつけるライザ。サングラス代わりなのだろうか? そしてルーベンスの横を通って町の方へと歩いていった。背中を向エリスがら手を振り、その姿はやがて消えていった。
ルーベンスはいつの間にか隣に立っている漆黒の狩人に訊ねた。
「認めてもらえたのかな?」
「だと良いわね」
雪をかぶった木の幹にもたれ掛かり、ヘクセンが微笑みながら呟いた。
少年神父は空を見上げる。
明日の侵略をものともしない。力強くて、とても蒼く晴れ渡った空である。それを見ていると、負ける気がしない。
視線を空から墓へと移す。ランス・クリムと言う文字が彫られた石碑を見て、ルーベンスはやはりどうしても信じられないことがあった。
――いまだ彼が死んだなんて思えなかった事だ。
本当に出会って短い時間だったが、あの律儀で心優しい少年はとても親切にしてくれた。だが、彼はもう居ない。それもまた事実なのだ。
ルーベンスは身をひるがえし。町へと戻った。ヘクセンも勿論、後ろからついてきてくれる。
まだ降り積もる雪に足跡を残しながら、ルーベンスは闘志を燃やしていた。
◇
その日は作戦決行の日の為に、ほぼ教会関係者全員が自由行動だった。ルーベンスとてそれは例外ではない。ヘクセンは教会の大聖堂でシスター達と話しながらシルバーウルフを磨いていたのは見ている。彼女はあまり社交的な方ではないのだが、その美しい容姿から、行く先々での女性陣からの人気が高い。
それはそうとして、ルーベンスは自分がどう過ごすかを考えていた。
弾薬も揃っている。射撃の練習と言っても銃はヘクセンに預けている。上司に連絡……いや、よしておこう。無駄な体力を消費するだけだ。次にヴァイドと飲み明かす……と言う手もあったが、明日が戦闘になるのに二日酔いになる訳にもいくまいと踏み止まり。
と、なると残るはライザ。墓参りから確かにこの町に戻ってきているはずなのだが……どうも姿が見当たらない。きょろきょろと歩いていると、噴水広場の方で何やら楽しそうに笑う子供の声が聞こえる。ランスと初めて出会った場所でだ。
少し駆け足で公園に向かうと、そこには数人の子供達と遊ぶライザの姿があった。子供達もそうなのだが、何より、ライザの表情が一番楽しそうだった。向かってくる子供達に殴られ、蹴られながらも怒る事なく、ただ、父親が子供と遊ぶように楽しそうに笑っている。
ルーベンスはその様子をみて立ち尽くしていた。
大人にとっては近寄りがたい雰囲気の彼。しかし子供はちゃんと分かっているのだ。彼が本当は一番純粋で、とても優しいと言う事を。なんだか涙が出そうな思いでルーベンスはくるりと振り返る。そして、静かに噴水公園から離れた。なんだか暖かくて、なんだか嬉しくて、涙が出てしまう。
他人事だと笑われるかもしれない。
それでもルーベンスはああ言う人間の隠れた良い面を見ると泣きたくなるのだ。やっぱり見捨てたものじゃない。人間は素晴らしいんだ、と。
鼻をぐすぐす言わせながら歩いていると中年の女性が心配して声をかけてくれた。
「おやまぁ、どこか悪いのかい?」
「え? あ、いや、全然大丈夫だよ」
「そうかい? 心配だねぇ……お腹でも空いてるのかい?」
「ううん。だから全然だいじょう……」
その時ルーベンスの腹が情エリスく鳴った。中年の女性は腰に手をあて、嘘はいエリスいねぇとルーベンスを見ていた。おかしい、空腹感は無かったのだが、妙に食欲をそそられる匂いがするのだ。それもそのはず、女性の隣には活気のある民間食堂がずっしりと構えていたのだ。その店内から漂うなんとも食欲をそそられる匂いが、ルーベンスを既に虜にしていた。
「じゃあ、食べていこうかな」
「いらっしゃい!」
ルーベンスは中年の女性の後をついていった。この女性が言うには、自分は食堂の料理長だというのだ。テーブルについて、素朴な木製の椅子に座る。すると女性は向こう側の席に座り、その他にも色々と話をした。
「何で泣いてたんだい?」
「え、っと……ちょっとつまずいちゃって。はは」
なんとも強引な言い訳である。確かに、とてもではないが人間の良心を見たので泣いたとは言えない。中年の女性もその複雑な気持ちを読み取って、そうかいとただ一言返し、気にしない事にしたようだ。
次に女性が目に付けたのは少年の衣装だ。こんな一般レベルで言う変わった格好をしている職業と言えば一つしかない。
「見たトコ神父様か何かかい?」
「うん。ルーベンスって言うんだ」
「へぇ、いい名前じゃないか」
「えへへ」
照れくさそうに笑う神父を見て中年の女性は懐かしそうな目をする。ルーベンスはその目が気になって今度は尋ねた。
「おばちゃん。どうかしたの?」
「いや、ね。死んだ息子にそっくりだったからねぇ」
まずい事を聞いたな、と思いながらもルーベンスは遠慮しなかった。ここはかえって遠慮せずに、だが控えめに質問する。
「息子さん。何歳だったの?」
「十五だね。ちょうどアンタと同じくらいだよ」
「失礼だよおばちゃん!僕、十七」
「はっ! こりゃ失礼したねぇ!」
あっはっはと大きな声で笑いながら中年の女性は謝罪する。ルーベンスは相変わらず笑顔で女性を見ていた。このヒトの表情を自分は好きだった。前向きに生きている人間の表情には、笑顔が多い。
「そうだ。美味しいモン、作ってやるからここで待ってな」
席から立ち上がると、思い出したように女性は厨房へと向かった。またもや人間の暖かさを感じながらルーベンスはわくわくと席で料理を待つ。自分の感じた正直な感想をルーベンスはいつの間にか呟いていた。
「いいヒトだなぁ。皆」
ぐるりと食堂内を見回すルーベンス。家族で料理を食べていたり、恋人同士だったり、友人同士だったり。何にせよ、皆の表情はとても明るかった。明日の戦いを知らないのだ。当然であろう。これがもし、明日の戦いを知っていたのならば別だ。町全体の雰囲気は重苦しく、警戒心で街全体がぴりぴりしてしまう。それを見越し、情報を操作したのがヴァイドだ。大司教であるヴァイドの発言力は大きい。この地域では彼に逆らえる者などまずいないであろう。何も考えず気楽にやっているように見える彼だが、ゼブルの住民の命がかかってくるとなると、途端真剣になる。初対面の頃思っていたより、ヴァイドは頼りになる男である。
ルーベンスがそんな事を考えながらぽーっと周りを見ていると、目の前に料理が運ばれてきた。中年の女性料理長はテーブルの上に出来たてほわほわのオムライスを置く。トマトケチャップの赤が、柔らかい卵の黄色を一層引き立てる。それに加え、出来立ての白い湯気。食欲をそそる香り、豪華な一品だ。
「あ、ありがと! おばちゃん!」
「こいつは私の自信作さ。綺麗に食べないと承知しないよ!」
「うん。ホントありがと! おばちゃん」
中年女性は豪快に笑いながら厨房へと帰っていった。ルーベンスは早速、皿の端に添えられていたスプーンでオムライスを一口頂く。
「ん〜〜〜〜〜〜〜! デリシャスだね! これ」
余りの美味しさに足をジタバタさせるルーベンス。事情を知らない他人が端から見ると、ちょっとおかしいかもしれない。更に一口、更に一口と、どんどん箸……いや、スプーンが進んでいく。女性は物陰からその様子を見ながら嬉しそうに笑っていた。息子も良くオムライスを食べていた。ルーベンスは一口一口、その味を噛み締めるように味わい、そしてその度に足をジタバタさせていた。
二度言うが、事情を知らない他人が端から見ると、やはりちょっとおかしい。
そしてものの十分もかからない内に、ルーベンスは皿の上のオムライスを綺麗に平らげていた。
「ごちそうさまー!」
「早かったねぇ」
タイミング良く女性料理長が綺麗になった皿を回収しに来た。ルーベンスは満面の笑顔で感想を述べた。
「おばちゃん! とっても美味しかったよ」
その笑顔を見て、とても満足そうに女性は微笑んだ。それは息子を愛する母親の笑顔であった。
「そうかい? そりゃあよかった」
「うん。ありがと、おばちゃん!」
「料理長と呼んどくれ。またお腹が減ったらいつでも食べにきな。特製オムライス、作って待ってるからさ」
「うん、またくるよ絶対!」
ルーベンスはそう言うと席をたった。そしてポケットの中を探り始める。しばらくごそごそと探して表情が焦りの色を見せた。そして次に懐、袖、靴の中。と、何かを探す。彼が探しているのはお金だ。料理長はどうやら彼が財布をどこかに落としたのに気付くと笑ってルーベンスにいった。
「ああ、お代は結構だよ」
「でも……やっぱり払わなくちゃ」
とてもすまなさそうに顔を伏せる。料理長は少し考えると、思いついたように拳で掌を叩いた。
「それなら、またお金が出来たら払いにおいで。もしお金が出来なくても、オムライスは食べさせてやるから」
「ホントに……それで良いの?」
ルーベンスが上目使いに料理長をみると、彼女は笑ってみせた。
「ああ。勿論さ。ウチの売りは人情だからねぇ」
ガッツポーズしてみせる料理長。女性ながら素晴らしい豪快さだ。ルーベンスは律儀に一礼する。
「ありがとう。おばちゃ……じゃなくて料理長」
「礼なんていいのさ。困った時はお互い様、だろう?」
「う、うん」
「さあ、おゆき。迎えがきてるみたいだよ?」
料理長が店の外に指を向けた。ルーベンスは振り向いて外を見た。
「え?」
食堂の前でライザが煙草を吸いながら右手をあげる。ルーベンスは再び料理長に礼を言うと走って店の外へでた。
「どうしたの? 何か緊急事態?」
慌ててそう訊ねるとライザは心底呆れた顔をして首を振った。
「アホ。んな訳あるかい。たまたま通りかかって見つけたから待っとっただけじゃい」
「なーんだ、てっきり敵が攻めてきたのかと思っちゃったじゃないか」
「物事は悪い方ばっかりに見んほうがええで」
「そだね」
ルーベンスは反省したように微笑む。ライザはその笑顔を横目で見ながら教会へ向かって歩き出す。しかし、ふと数歩進めて足を止め、頭を落として訊いてきた。
「お前、あのおばチャンと何喋ってたんや?」
不意に変な質問をしてくる男の背中をきょとんとして見つめるルーベンス。
「え? どうかしたの?」
「……息子が死んだとか言うとらんかったか?」
「あ、うん。僕に似てたとか、言ってたね。」
ルーベンスが不思議そうな声で答える。
「そうか」
「それがどうかしたの?」
少年はライザに歩み寄ってその顔を覗き込んだ。覗き込んだその顔は、悲しそうな表情をしていた。
「死んだんは、ワイの弟や」
ルーベンスはそれを言われてはっとする。ライザは煙草の煙を吐き出した。
「どうした、何故そんな顔をする」
男は少年を見た。肩を落としてまるでその出来事が自分の事のように一筋の涙を流した。
「泣くな、ルーベンス。同情なら止める事や」
「違うよ、同情じゃない。わからないけど、涙がでる」
変わった男だ。ライザは呆れたように息をつくと、煙草をつまんで微笑む。そして呟くように話し始める。
「……ワイの目の前で死んだんや、アイツは。ワイら兄弟はちっさい頃から二人ともが教会の裏組織に所属しとった。でもな、十五の弟に何が出来たと思う? 悲痛な声あげて、助け求めながら、あいつはワイの前で喰われたわ」
ライザの瞳はどこかとても遠くを見ていた。恐らく遠い過去の記憶、弟が目の前で亡者どもに喰われていく様子を思い出しているのだ。一歩踏み出し、再び歩き出す。
ルーベンスはその話を他人事とは思っていなかった。
後を追いながら、他人の悲しみを自分の辛さのように感じ取ると、心が締め付けられるように痛んだ。ライザは煙草の煙を吐き出しながら続けた。
「母親は悲しんでたわ。俺はそんな姿見るん嫌やったから、家を離れた。それから教会に住み込んで鍛えまくったな。その後母親は食堂開いて、家族は別々の道を歩く事になった。たまに食べにいくんやけどな、家ほったらかして出て行った奴を、もう息子やとは思うてないやろ」
最後は諦めたようにうつむいた。しかし、ルーベンスは優しい声でそれを否定した。
「そんな事ないよ、きっと」
「……ん?」
ライザは足を止めて振り返った。そこには優しい微笑を浮かべながら、天使のような少年が立っていた。なぜかその笑顔は、男の心を浄化していくようだった。
ライザがその笑顔に見とれていると、ルーベンスは微笑みを崩さずに続ける。
「きっとそんな事ないよ。子供を愛しない親はいないんだから……料理長はきっと見守ってるだけだ。遠くから、優しくね」
少年がそこまで言うと、何かを思い出したように、声はださずに笑うライザ。きょとんとしてルーベンスはライザを見ていた。
「そか、お前もランスと同じような事いうとるな。流石かぶりキャラ」
「それどう言う意味?」
発言の意図が理解できないのか、首をかしげて訊ねる少年。
「何も無いわ!」
ライザはけらけら笑いながら再び歩き始めた。ルーベンスは少しその背中を見てからまた微笑んで、その後を追った。
既に日は沈み、夜空には美しく輝く一筋の涙が流れた。戦争は刻一刻とゼブルに近付いている。その日一晩、街を吹雪は襲わなかった。
教会へ戻ると話にすっかり会話に花を咲かせていたシスター達に囲まれてヘクセンが無表情で頷いていた。中々拝見する事が出来ない光景に、ルーベンスは思わず吹き出してしまった。ライザがどうしたのかと、扉の前で笑っている少年を押しどけ、大聖堂の中へと入っていく。
ルーベンスはやっと笑いを堪える事に成功し、元気よくその後をついて入った。
「ただいまー!」
「おかえりなさい、ルーベンス様」
温かく迎えてくれたのはシスターアグネスだった。ルーベンスはヘクセンも居たため、女性陣の方へと向かったが、ライザは離れた席に座った。そして机の上に旧式拳銃、そして短銃を置く。体が少しだけ軽くなる。煙草は入口に捨ててきた。椅子の背もたれに背中を預け、ライザはやっと一息ついた。
ルーベンスは横目でライザのそんな姿を見ながらシスター達の話を聞いた。明日の戦いを心配するシスターや、神に使える者ながら恋の悩みをぶちまけたりしているシスターもいた。ルーベンスは彼女達の質問にしっかり答えながら楽しそうに話をしている。ヘクセンはそんな楽しそうな主の表情を見ながら、すっかり輝きを取り戻したシルバーウルフに目を移した。磨き終わったその拳銃は、所々に小さな傷を残しながらも美しい光沢を帯びていた。続けてヘクセンは自分の座っている椅子に立てかけていた槍を見る。銀光放つ銃とは対極的で、こちらの槍は刃先もボロボロで長い柄も切り傷が幾重にも刻まれている。この武器で戦うには限界が近付いている。
ヘクセンは基本的に武器と名の付くものは、全般的に扱うことが出来る。この槍も亡者との戦闘中に敵から拝借したものだ。
勿論、彼女自身にしか使えない専用武器もある。だが、その武器を使うにはあまりにも殺傷力が高すぎて、彼女自身がその武器を好まなかった。亡者相手ならまだ良いのだが、たまに悪事を働く人間を相手にする事がある。教会の定めた法律では人間が相手の場合、逮捕が原則だ。だが、ヘクセンがその武器を振るえば、逮捕する以前に確実に殺してしまう。ヘクセンは初めて人間を殺した時、恐ろしくなってその武器を封印した。現在でも使用することはある。だが、それも凄まじく強力な亡者を相手にする時だけだ。何よりその武器の最も恐ろしいところは殺傷力だけではない。頼りすぎれば自我の崩壊につながるその性能なのだ。
――そろそろ別の武器を調達しなければ。
知らぬ間にヘクセンは唇を噛んでいた。
「……だよね、ヘクセン?」
ルーベンスは従士に同意を求めた。だがヘクセンはと言うと、ただ呆然と机の上を見詰めているだけだ。
「ヘクセン? ねぇ、ヘクセンってば!」
「えっ……!」
ヘクセンは主の声に、椅子から飛び上がるほど驚き、びくっとしながらルーベンスを見た。その目は何かに怯えていたようにも見えた。
「何の……話?」
「もう、聞いてなかったの? ヘクセンって美人だよねっていう話」
「そうですわ。女性にも人気がありそうですし」
意外な発言をしたのはアグネスだった。その他のシスターも顔を見合わせて同意の念を表す。ヘクセンは呆気にとられたという表情で一同を見ていた。
「私、美人なの?」
「まあ、自分では気付かないもんだよね」
「そうですわね」
「アグネスも十分綺麗だと思うんだけどな?」
ルーベンスは今、とてつもなく軟派のような発言をした。彼自身は気付いていない。それが彼という男なのだ。素直で、思った事は口に出すと言う彼の良いところなのだ、と思いたい。アグネスは顔を赤らめながら手を頬に持っていった。
「そ、そうですか?」
「うん。十分美人だと思うけどね。ヘクセンと互角ぐらいかな」
「ありがとうございます」
アグネスは素直に頭を下げた。ルーベンスは忙しく掌をぱたぱたと振るった。
「お礼なんて、僕はホントの事言っただけだし」
「素直すぎるのも、罪よね」
ヘクセンがやれやれと呟く。しかし、少年の耳にその言葉は届いていなかった。
「そろそろ夕食にしましょうか」
話が一段落したのを見計らって、アグネスが提案した。ルーベンスを除く他の連中は、快くその提案に従った。
が、ルーベンスは申し訳無さそうな顔で上目使いにアグネスを見た。
「あ、僕は良いよ。外で食べてきたから」
「そうなのですか?」
アグネスの問いに、ルーベンスはぱっと顔をあげて、その表情には笑顔が咲いた。
「うん、すっごい美味しかったよ。今度また皆で食べに行かない?」
「ええ、それは是非とも」
「まっ、明日を無事終えてからの話だぜ」
不意に背後から渋い、そして低い声がした。ルーベンスは視線だけ背中に送ると、そこに立っていたのは大司教、ヴァイドであった。アグネスの話によると、この時間は自室で密かにワイングラスを傾けているらしいが、流石の大司教も、明日に備えてぶらぶらと、ただ部下達の士気を高める為に歩いているらしい。
ルーベンスは先程までの話を聞いていたのだろうと思い、この大司教も誘う。
「ヴァイドも食堂行こうよ」
「おう、是非とも俺も行かせてもらうぜ。生きて帰ったときの祝いだ!」
「嫌ですわ、ヴァイド様。わたくし達は全員が絶対に生きて戻ると言うのに」
「それもそうだ! がっはっは!」
アグネスの苦笑を見て豪快に笑うと、ヴァイドは椅子にどかっと腰をおろした。外からは吹雪はないとは言え、凍えるような気温の中、神父達も巡回を終え、ぽつりぽつりと帰還していた。
ルーベンスは、ふと離れて座っていたライザの姿が目に入り、椅子から立ち上がったかと思うと、そちらの方に向けて歩き出した。
ライザはと言うと、机に頬杖をついて、ただ呆然とどこかを眺めているだけだった。
「皆、食堂行くって言ってるけど、君はどうするのかな?」
「ゼブルでノリの悪い男は嫌われるんや」
ライザは来訪者の顔を一瞥しながら、そこで一息ついた。すると何やら不敵に笑ったかと思うと、ルーベンスを見上げて言う。
「勿論、行くで」
「よかった」
この少年はつくづく不思議な男だと、ライザは感じていた。いつも上手い事丸め込まれているような気がしてならない。きっとこの少年が放つ不思議な雰囲気に原因があるのだろうが、何故か何処かに影があり、その部分はとても脆くて弱い部分なのだと言う事はわかるのだ。ふと神父は考えた、自分はこの男の何かを守りたいのではないか、と。
ライザは机の上に放っていた旧式拳銃と短銃を懐に収めると、代わりに煙草を取り出した。一体一日で何本吸うのだろうか。ルーベンスがふと心配するが、ライザはそんな彼の気持ちも察する事無く、ライターで煙草に火をつけた。煙を輪にして吐き出す。中々上手に出来たそれは、ふわふわと空気の階段を昇り、やがてその整った形を崩して消滅した。ルーベンスは鼻腔を突く臭いを我慢しながら、いつの間にかライザの隣に座っていた。
「おかんの料理食べるん、久しぶりやな」
「もう食べる気満々なの?」
ルーベンスがにやにやしながらライザを見る。少し照れたように、煙草を人差し指と中指で挟んで口から離すと、あくまでも威厳を維持しようと付け加えた。
「勿論、明日勝ってからの話や」
「それは是非とも勝ってもらわなきゃね。料理長、喜ぶよきっと」
「そうやな」
ライザが母親の顔を思い出していると、ルーベンスはその横顔から彼が何を考えているのかを察したのか、優しげな微笑みを浮かべて言う。
「とりあえずご飯食べてきたら? 僕はヘクセンと町でも見てこようかな」
「前々から聞きたかったんやけどな。ヘクセンっちゅーのは彼女か?」
ルーベンスがその言葉を聞いた途端、机の上に盛大に頭をぶつける。それもこれもこの隣に座っている神父がさらっととんでもない事を言うからだ。
「違う違う。彼女は僕の使い魔なんだ。主従関係って奴かな?」
主従関係、その言葉を聞いてライザは怪訝そうな顔をした。と言うより、何かいまいち理解できていないと言った表情とも取れた。
「また、えらい難儀な関係やな」
「そうでもないよ。実際友達みたいな関係だし」
「そうなんか?」
「そだよ」
少年の顔は、誰かに友達のいいところを自慢するそれと同じで、にこやかに答えた。ライザは横目でその表情を見て、納得したように煙を吐いた。ルーベンスはまるでその空中に噴出された煙を追いかけるようにして立ち上がった。
「んじゃ、また後でね」
「おう。もう八時や。早めに帰ってきいや。また鍵が閉まってるからて、鍵ごと扉壊されたら敵わんからな」
「勘弁してよね、閉め出すのだけは」
ルーベンスはそう言って、こちらに歩いてきていたヘクセンを誘う。どうやらシスターの質問攻めからようやく解放されたらしい。合流すると、二人は少し会話を交わした後、すぐに教会を出て行った。
恋人ではない、主従関係――か。
「ホンマ、体質も人間関係も難儀なやっちゃで」
戦闘開始は、もうすぐそこまで迫っていた。
『EAT A DEINNER』 END