――序章――
「はっ……はっ……」
少女が走っていた。
冬の夜。雪がしんしんと降り積もる森の中を……
彼女は追われていた。
追っ手は誰?
――人間ではない。
『彼等』は亡者と呼ばれるヒトあらざる者達。
魂の抜けた、ただの屍。
どれぐらい逃げただろうか?
疲れも忘れるほど走っていた。
助けを求める声すら出ない。
裸足で雪の上を走っているのにも気付かない。
吐く息が白いのにすら気付いていない。
――ただ、走った。
少女の足は寒さで切れ、白い雪を血の赤で点々と染めていった。
逃げなければならなかった。
隣の町まで助けを求める為に。
だが、少女の体力にも限界がきていた。
積もる雪に足をとられ、少女はその真っ白の布団に倒れこんだ。
もう立てない……
後ろからはうめき声。亡者だ……
このまま自分も父親や母親、兄や村人のように『彼等』に喰われてしまうのだろうか。
嫌だった……死にたくなかった……
少女は必死で立ち上がろうとした。
だが立ち込める冷気で体が動かない。
一歩、また一歩と死が歩み寄ってくる。
死を覚悟した少女に、天使の救いが訪れたのはその時だった……
「ヘクセン! よろしく頼むよ!」
「了解」
少女は暗い空を見上げた。
何かが跳んだ。雪が降り積もっていく木々を跳んでいる。
月光に照らされたその女性の表情は雪よりも冷たく白かった……。
漆黒の長髪が夜の闇を更に引き立てる。
月光を覆い隠してしまいそうな黒……。
それが徐々に自分の方へと近付いてくる。
そして『ソレ』は自分の隣へと着地した。
「逝き場を失った哀れな屍達……ここはお前たちの居場所ではないよ……」
声の主は隣にいる女ではない。
もっと後ろ……亡者達よりも更に後ろから聞こえた。
とても澄んだ、優しさを帯びた声が。
「汝等、安らかに永眠せよ……アーメン……」
そして、雪降る夜の静寂を打ち砕く、銃声が轟いた。
『PEACE MAKER』
――― 『1』 ―――
『MONSTER』
「ねえヘクセン。何で使い魔である君の荷物まで僕が持たなきゃならないんだ?」
雪の国、ゼブル。
一年中絶えず『冬』と言うこの町。
不機嫌そうな顔で道を歩いているのは金髪碧眼の少年だ。僧衣から考えられるのは教会組織の関係者なのだろうか。それにしては随分と小柄で、幼い。背には大きなコンテナ。よくもまあ、これだけの質量を小柄な身体で持てるものである。
ヘクセンと呼ばれた女性は微笑んだ。黒の長髪。そして髪と同じぐらいに深い漆黒の瞳。小柄な少年に対し、こちらは真っ黒なローブに身を包み、背も高い。
「細かい事は気にしない、ルーベンス。第一、腕力は貴方の方が強いはずよ」
「まあ、そりゃそうだけど……でも、こう言うのは何だかなぁ……」
愚痴る主、ルーベンスを見ながらヘクセンはため息をつく。少年は少し先に行ったところにあるベンチを見つけると走り出した。
「あそこが合流地点だよ!ヘクセン!」
「……やれやれ」
再びため息をつきながらも主の後を追うヘクセン。
ベンチに腰を下ろしたルーベンスは、背後にある古びた噴水を見ながら荷物を隣に置いた。そしてベンチの前で立ったままのヘクセンに尋ねる。
「ねぇねぇ。ヘクセンも座りなよ」
「私は結構。主を護衛するのが、使い魔の役目でしょ?」
「生真面目だねぇ……安心して良いと思うんだけどなぁ」
ルーベンスは少し頬を膨らませてヘクセンを見た。
ここに来た理由はただ一つ。ある人物との待ち合わせなのだが……
その待ち合わせの人物と言うのが教会関係者らしい。
『教会』とは。
いつの頃からか世に出現し始めた屍の兵士。『亡者』と呼ばれるヒトあらざる者を永眠させる為に作られた組織の事である。
主な活動は迷える人々の悩みを解決する事なのだが、裏の稼業は『亡者』の処理、および解析である。
『彼等』がどこからきたのか。それは未だに不明である。だが、ただ一ついえる事は、『彼等』は人肉を餌とし、世界中の町や村を襲っている事である。このまま『彼等』の行動を無視し続ければ世界中の人間が喰い尽されてしまう。
『教会』がこの裏稼業を始めたのは丁度その時だったのだ。
今回、『教会』から神父ルーベンスに与えられた任務は二つ。
各地の教会関係者と協力。その後、喰人鬼の処理。それがまず一つ。
そしてもう一つが、裏切り者を追い、その者達を殺す事であった。
『教会』を裏切った五人の神父達。
彼等は『教会』の総帥を殺した上、喰人鬼を従えて姿を消した。まだその時の様子はルーベンスの瞼にしっかり焼きついている。
総帥であった『マリエル・リプシー』……女性である。
彼女は重傷を負っていた幼いルーベンスを保護し、育ててくれた人物でもあった。この任務は、ルーベンス自身が自分で進んでついた任務なのだ。彼女の敵を討つ為に。
少しの間ベンチでのんびりするルーベンス。ヘクセンは未だ座ろうとしない。確かここで協力する教会関係者と待ち合わせているはずなのだが。
少年神父は腕時計に目をやる。時刻は十二時三十分を少し過ぎたところだ。
――待ち合わせの時間は十二時。昼食を食べていないルーベンスの腹が鳴る。
「ううー……お腹空いたぁ」
「それにしても遅いわね。何をやっているのかしら」
「事件でもあったのかな?」
何気なく聞いてみるルーベンス。ヘクセンは両手を挙げ。首を横に降る。少年神父は腹をさすりながらため息をついた。
「お腹、空いたなぁ〜」
いつの間に目の前に立っていたのだろうか。穏やかな表情でルーベンスを見つめる少年がいた。
「よかったら、これでもどうです?」
ルーベンスの目の前に焼きたてのクロワッサンが差し出された。本当に美味しそうな茶色で、少年神父の表情は一瞬で明るくなった。
「くれるの?」
「ええ。良いですよ? どうぞ」
ルーベンスは少年からクロワッサンを受け取ると頬張った。一言で言うなら美味。味わわずに一口で食べてしまった事を少し後悔するルーベンス。香ばしい匂いとカリカリの食感を歯で噛み砕き、飲み込む。そして満面の笑顔で、一時の空腹を満たす食料を差し出してくれた少年に礼を言う。
「ありがとうございました! ホント、死ぬトコだった」
「大袈裟なのよ」
ヘクセンが呆れた顔で主を見た。クロワッサンをくれた少年はルーベンスに笑顔を返した。
「いえいえ。困った時はお互い様ですよ。ところで、こんなところで何をしてらっしゃるのですか?」
「ヒトを待ってるんだ。予定時間よりも三十分も遅れててさ」
「奇遇ですね。僕もヒトを待っているんですよ。ご一緒しても良いですか?」
この律儀な少年にルーベンスは頷いた。
外見からすれば十四……いや、十五歳ぐらいだろうか。肩まで届く蒼の髪に優しそうな光を帯びて澄んだ水の色の瞳。着ている服をどこかで見た気がするのだが……気のせいだろうか。
ルーベンスは何気なく少年に尋ねてみる。
「君、名前は?」
「僕はランスです。ランス・クリム。貴方は?」
「僕はルーベンス。家名は無いんだ。ゴメンね」
「それは……またなぜです?」
ランスは少年神父に尋ねる。ルーベンスは少し悲しそうな笑顔で答えた。
「僕、拾われたんだよね。知ってるかな? 教会総帥の『マリエス・リプシー』って」
「も、勿論知っていますとも! 彼女は――」
「ルーベンス」
今まで黙って二人の話を聞いていたヘクセンが突如深刻な声で言った。緊急事態が起こっている事は彼女の表情と声で察す事が出来る。ルーベンスは隣に置いていた荷物を背負い、従士を見た。
「ここから南の方角に亡者の邪気よ」
「南……氷河の森ですか」
ランスが言う。
ルーベンスはまだこの国に来たばかりで地理には疎かった。するとランスが自分達を先導するかのように走り出す。
「案内します! ついてきて」
「あ、ああ」
ルーベンスとヘクセンは慌てて彼の後を追った。しばらく走ると街をでて、雪が降り積もった森に入った。確かここに辿り着いた時に少女を助けた森だ。
あの時もヘクセンが亡者の邪気を察知してここまでこられたのだ。ランスは雪の積もった道をずんずん進んでいく。ルーベンスはたまに雪の深いところに足を突っ込みながらも、何とか追いかけた。従士――ヘクセンはと言うと、身軽そうに樹の上を跳びながら移動している。彼女は邪気で亡者の出現場所を感知できる為、先行する事が出来るのだ。
森の中をしばらく走ると独特の呻き声が聞こえた。ヒトあらざる者、屍の兵士たち。
――それは亡者と呼ばれる存在。
ルーベンスは黒の僧衣の懐を探る。ちゃんと銃はホルスターに収められていた。それを確認すると再び全力で雪の上を走った。かわってランスは、ルーベンスより一足先に亡者の姿を見ていた。そして同時に、こちらに慌しく向かってくる男の姿も確認していた。どうやら亡者に追われているらしい。上から下まで黒一色の身なり。黒の短髪に黒の瞳。黒の僧服と……そして何よりランスだけが驚いたのは、彼が広場で待ち合わせをしていた人物であると言う事である。
「ライザ、遅すぎですよ! 第一、何故町にいなかったのですか」
「悪い悪い! ついつい道草しとったらな」
「どこをどう道草すればこんな森の奥に入ってこれるんですか! 全く」
「だから悪い言うてるやんけ」
ライザと呼ばれた男は苦笑いしながらランスと合流する。以前からこのコンビはこんな感じである。そして振り向いてふらふらと向かってくる亡者と対峙した。
黒の僧衣に身を包んだライザは懐から旧式拳銃、パーカッションリボルバーを取り出し、亡者に銃口の照準を合わせた。
「さてと。ほな、狩り始めるとしよか」
「君一人でも十分だったんじゃないですか?」
「馬鹿言え、ざっと二十体は居るで」
ライザは拳銃の撃鉄を引きながら笑う。ランスもまた、相棒の顔を見ながら腰に提げていた剣を鞘から抜いた。
「それじゃあ、行きますか」
「応よ」
「ちょっと待ったぁ!」
「ん?」
二人の後方から大声が聞こえる。声の主はあの少年神父、ルーベンスだった。
「何や、あのチビっ子は?」
「ああ、ルーベンスさんって言って同業者らしいんですよ」
「ルーベンス……んん? ルーベンス?」
ライザは考え込むようにして腕を組む。ランスはその相棒の顔を覗き見た。
「どうかしたんですか? 珍しく考え込んで」
「確か教会の関係者と組むように上層部から指令きてなかったっけ?」
相棒の言葉にランスは首をかしげて記憶を呼び覚ます。確かにあの少し暑苦しい大司教が任務通達でそんな事を言っていた気がする。
「……ああ、大司教様が仰っていた気がしますね」
「ほら。合流するんはルーベンスとか言う男やって」
「じゃあ、あのヒトが?」
「何や、あんさん気付いてなかったんかいな」
まあ、いつもの事である。彼、ランスがどこか抜けているのは今に始まった事ではない。ルーベンスはやっと二人の所へ辿り着いた。息が荒い。雪道がこたえたのだろう。
「はぁ……はぁ……亡者は……はぁ……危ないから……逃げた方が……ふぅ……」
ランスとライザは顔を見合わせてにんまりと笑った。息も整ってないルーベンスを見てかぶりを振ると、ランスは人差し指を立てて言った。
「いえいえ、敵を目の前にして逃げる訳には行きませんよ」
「そやそや、ワイらは狩る側やで。特務機関『セラフィム』のルーベンスはん」
ルーベンスは、ある名前に反応し、きょとんとした表情をライザに向けた。何故、彼が自分の所属している機関の名前を知っているのかが不思議だったからだ。しかし、状況を飲み込む暇も与えてくれないが知性の無い亡者達である。ランスに飛び掛ろうとした亡者の一匹を、いつの間にか手中に出現していた銀光放つ銃で撃ち抜いていたルーベンス。ライザはその早撃ちに目を丸くした。
「ほっ……強いんやな」
「来るよ、ヘクセン! よろしく頼む」
「了解」
屍ながら歩く者達の眼前に、頭上から美しい漆黒の狩人が舞い降りてきた。天使か悪魔か、どちらにせよ亡者を狩る者。
漆黒の狩人、ヘクセンは長い槍を構え、亡者達を華麗な槍さばきで薙ぎ払っていく。ルーベンスも負けじと銃を乱射する。だが、乱暴に撃っているようで銃弾は一発たりとも外してはいない。銀の銃身がスライドするたびに銃口から弾丸が放たれる。空になった金色の薬きょうが雪の上に散らばる。『祝福』と言う特殊な聖なる儀礼を銃弾全てに施す事によって、一発の弾丸でも呪われた亡者の身体を粉砕するほどの威力を得る事ができるのだ。
――祝福弾。教会が亡者に対抗する為に作り出した兵器の一つである。
一発ずつ亡者の心臓を狙って――しかし素早く――打ち込むルーベンス。ランスは一気に敵との距離をつめ、屍を一刀両断する。背後からの気配を察知し、振り向き様に薙ぎ払う。隙の無い戦い振りであった。流石は裏稼業教会の牧師である。ライザもまた、格闘術を加えた銃撃で亡者を倒す。
どうやら彼の持っている短銃に装填されている銃弾にも『祝福』が施されているらしい。おまけに彼は専ら、至近距離での戦闘が好きらしい。銃を長距離戦闘の道具として見ていないようだ。
「数も減ってきたね」
ルーベンスが叫ぶ。ライザとランスは目の前にいた二匹の亡者をほぼ同時に倒し、振り向く。
「ああ、こっちもほとんど片付いたで」
「あとは……」
ランスが亡者の姿を確認する。しかし、『奴等』は何と後退を始めていた。
知性の無い彼等に『撤退』と言う言葉があるなど、聞いた事が無い。不思議に思ったヘクセンはルーベンスの真横に舞い降りて提案する。
「私が追いかけるわ。貴方は一旦街に戻って。もう弾丸も底をつきかけてるでしょ?」
「にひひ……バレたか」
「弾丸が尽きた貴方に戦う術はないから。たとえ戦えたとしても……」
「許可が下りない事にねぇ」
ルーベンスは不便だと唇を尖らせながらヘクセンを見る。そして気を取り直して頷いた。
「それじゃあ、追跡はよろしくお願いするよ。ヘクセン」
「お安い御用よ」
ヘクセンはそう言って再び雪を蹴って高く舞い上がる。そして撤退する亡者達の追跡を開始した。
ルーベンスはそれを確認するとランスとライザに提案する。
「と、言う訳で一度街に戻ろうか!」
「ちょい待ち。あんさんの連れ、大丈夫なんかいな?」
「え? ああ。うん。大丈夫。追跡とか慣れてるから」
少年神父は何の不安もない微笑みを浮かべた。ライザはズボンのポケットから煙草を取り出し、くわえる。何故か火はつけない。ランスは剣を鞘に収めると町の方面へ向かって歩き出す。
「戻るのならこちらです。ついてきてください」
「うん。よろしく頼むよ」
ルーベンスは相変わらずの笑顔で案内者の後に続いた。そして、再び歩く事十五分。三人は町へ戻る事ができた。
「ふう、やっぱり雪道は疲れるよ」
と、ルーベンス。
対するライザとランスは全然平気そうである。それもそのはず。彼等はこの雪国で生まれ、雪国で育ったのだから。
「あの程度でしんどいんかいな。あんさんホンマに裏稼業やってる神父かいな?」
「うん。僕は神父。やっぱり見えないのかな」
「まあ、らしくないっちゅーたら、らしくないな。ランスと同年代ぐらいに見えんこともないし」
ルーベンスはこれでも一応十七歳なのだが、何故かもっと幼く見られる。性格も影響している事は確かなのだが……こんなにだらしのない十七歳も珍しいものである。
ちなみにランスは外見の通り、十五歳だった。この年齢であの剣技の素質を持つ者はそうそういない。ライザは口元にある火の点いていない煙草を指で弾くと提案した。
「とりあえず、ワイらの所属しとる教会まで行くか?」
断る理由はない。上司からも協力者を得ろと指示をうけていた。
「うん。本部にも報告しなきゃなんないし。案内よろしく」
「ええ。じゃあ、こちらです」
ランスが再び案内を始める。
――雪の国、ゼブル。
雪国であるこの国では気温がかなり低い。どこの家の屋根にも雪が降り積もっていて、町の道路も人が通らないような場所では、すぐに雪が降り積もっていた。
今は静かに雪が降っているだけだが、夜は違う。
夜になると暴風と共に吹雪が町を襲うのだ。それも毎日毎日……これほどの異常気象はこれまでに無く、当然野放しにもしておけず、グラッシャーカントリーの教会組織――の裏稼業を営んでいる神父達が捜索を始めた。そのせいもあってか、町のあちらこちらで僧服を身にまとった聖職者をよくみかける。
ルーベンスは武器屋や、飲食店の場所を確認しながらランスの後をついていった。これは後で弾丸を仕入れるのと、昼食を食べる為である。こう言う事だけはちゃんと調べておかないと、後で色々困ったりした経験もあるので抜け目は無い。
あまり賑やかとは言えない街の風景を見ながらルーベンスは思い出したようにライザに尋ねた。
「君は何で僕が『セラフィム』の派遣員だって分かったんだい?」
いきなりの問いにライザはすぐさま返答した。
「ああ、前々から聞いてたねん。教会特殊任務解決機関『セラフィム』から一人、奇妙な奴が派遣されるってな」
「奇妙とは失礼だなぁ」
ルーベンスは苦笑しながらライザを見る。しかしふと溜息をついて、
「事実なのが残念だけど」
その一言にライザはふっと笑った。
「別にあんさん奇妙じゃないけどな?」
「まあ、一緒に仕事していけば分かるよ。きっと」
――悲しい笑顔。確かに一瞬、少年の笑顔は陰りをみせた。ライザはその笑顔が気になったが、何も聞かない事にする。
「あ、着きましたよ」
案内をしていたランスがルーベンスに告げた。彼等の目の前に大きくそびえ立つゴシック建築の建物。
これがゼブル『教会本部』
数々の迷える子羊達が日々訪れ、悩みや懺悔をするところ。実際『教会』の仕事と言うのは亡者の始末。本当は人々の悩みを聞く事の方が裏稼業なのかもしれない。
「とりあえず、大司教様に挨拶を」
「うん。分かった」
ランスは大きな扉を押す。そして教会の中へと入っていった。ルーベンスもその後を追う。だが、ライザだけは何故かついてこなかった。
「あれ? 君はこないの?」
居心地が悪そうにライザは頭の裏をがしがしと掻きむしった。
「ああ、まあな。ほら、さっさと挨拶してきいや」
「……? う、うん」
ルーベンスが教会の中へ消えたのを確認するとライザは煙草を吐き捨てた。そして懐からサングラスを取り出す。
「さて、と」
さっさと身をひるがえし、彼はもと来た道を戻っていった。
「わーお! 凄い歌!」
「凄いでしょう? これがこの地方特有の聖歌ですよ」
それは教会の中へ入ってすぐ、とても大きな部屋。巨大な十字架が天井に吊るされ、その下ではゼブルの聖歌隊がその声で美しい響きを奏でている。室内がとんでもなく広いせいもあって、その声はいたるところに反響し、見事な声楽を作り出している。
この国ではシスターの歌が上手い、と噂には聞いた事があった。ルーベンスは改めてその事実を実感しながら歌っているシスター達を見た。表情がとても楽しそうで、活き活きと歌っている。天使、とはこんな人達の事を言うのだろうか。
聖歌。教会で歌われる歌といえば何だか静かな感じに思えてしまうのだが、彼女等が歌う歌、と言うものは少し違った。リズムの良いテンポに活き活きと活力に満ちた声。ハレルヤだろうか? そして彼女達の声の響き方、歌唱の技術。どれをとっても素晴らしかった。それは音楽についてはあまり分からないルーベンスでも感動するほどの歌だ。
「ほぇ〜」
「さあ、こちらです」
大聖堂で聖歌を歌うシスター達の後ろを通りながら二人は上の階へ上がる為の扉へ向かう。その時、透き通った女性の声が二人を呼び止めた。
「ファザーランス。おかえりなさい」
「ただいま戻りました! シスターアグネス」
ランスは丁寧に礼をしながら声をかけてきた女性に向きなおる。
この地方のシスターをまとめる女性なのだろうか。聖歌隊の前で指揮をしていた女性だ。まだまだ若い。歳は恐らく二十代半ばぐらいだろう。白の法衣に身を包んだ優しそうな女性。アグネス・リジェン。シスター・1STクラスの女性である。
「そちらのお連れの方は?」
アグネスは優しい微笑と共に尋ねた。
「ルーベンス様です。ほら、以前大司教様が言っていた『セラフィム』からの派遣員で」
「成程。そうでしたか。ルーベンス様、是非とも、ランスの助けになってやって下さいね」
「もとより、そのつもりで来たんですけどね」
あははと笑いながらルーベンスが答える。ランスは上の階へ上がる扉を開いた。
「こちらです。ルーベンス様」
「あ、うん。じゃあ、また後で歌、じっくり聞かせてくださいね」
「ええ、よろこんで」
慈愛の女神のような笑顔でルーベンスを見送るアグネス。階段を上るルーベンスは尋ねた。
「ランス。あのヒト、かなり若くみえたけど」
「ええ。今年で二十六歳です」
「ええ! 二十六で1STクラス?」
ルーベンスの驚き様も無理はない。今まで見てきたシスターの中でも1STクラスの女性はある一人を除き、六十代がほとんどだった。まれに若い1STクラスのシスターも見るのだが、それでも四十代程度。あんなに若い1STクラスのシスターを見たのは初めてだったのだ。
「ホントに若いんだねぇ」
「ええ。でもあまり不思議でもないですよ? ここで編成されている教会関係者の平均年齢は二十歳ですから」
「ええ! 二十歳?」
更に驚きの新事実発覚。教会関係者の平均年齢が二十代で構成される教会など聞いた事が無い。やはり、違う地方には違うやり方があるのだとルーベンスは勝手に頷いた。
「まあ、僕もヒトの事はいえないな」
「確か……十七、でしたっけ?」
ルーベンスは頷いた。それにしても見上げると随分長い階段である。どこまで続いているのだろうか。まさかこのまま天国まで続いている訳でもあるまい。
「……にしても長い階段だねぇ」
思わず口から本音がこぼれた。先行する少年は微笑みながら階段を昇っていく。
「そうですか? 慣れたら全然大丈夫ですよ」
「まあ、慣れる前に他の教会に移されるんだろうけどね」
「はは……こうやって今までも各地を点々とされていたんですか?」
ランスが尋ねる。ルーベンスはいきなり疲れた表情になり愚痴でもこぼすかのように呟きだした。
「そうなんだよ。上司が五月蝿くてさぁ……」
「そ、そうなんですか?」
「聞いたこと無い? 鋼鉄の女神『エリス・エドワード』って」
「ああ、確か百匹の亡者をたった一人で浄化したあの……」
鋼鉄の女神――いや、ルーベンスにとっては鋼鉄の鬼上司。
『エリス・エドワード』
勿論、シスタークラスは1ST。年齢は二十九歳。先程の老いた1STクラスのシスター達を除く一人というのが彼女だ。
特務機関『セラフィム』の裏の頂点に立つシスターである。性格はルーベンスによると恐ろしいの一言。以前、百匹の亡者をたった一人で打ち倒した人物である。噂とも囁かれているが、本人に至ってはノーコメント。
「ほんと、鬼なんだよね」
「そ、そうなんですか?」
ルーベンスの力尽きた笑顔に、エリスと言う人物を想像するランス。少し、恐ろしくなった人物像が頭の中でぐるぐると回り始めた。
「あ、やっと階段が終わりましたね」
二人はやっと階段を昇りきった。長い、とても長い道程だったような気がする。目の前にある扉を二度ノックするランス。すると中から渋い男の声が『どうぞ』と答えた。
扉を開くランス。しかし彼の視界はそこで床へと飛び込んでいた。部屋の中に入るなり突如ルーベンスが銃を構えたのだ。
「伏せろ!」
「え……?」
ランスには何が起こったのかすら分からない。ただルーベンスが自分の頭を床に押さえつけているのだけは確かだった。恐る恐る視線をあげるランス。そこにはなんと、銃を構えた大司教の姿があった。
「だ、大司教様! 何を!」
「勘は良いみてぇじゃねぇか」
「……は?」
これにはランスではなく、ルーベンスがぽかんと口を開ける。先程まで扉の後ろから放たれていた殺気がなくなっているのだ。銃を構えたのは殺気を感じたから。どうやら自分を限定に放っていたらしい。その証拠にランスは全くと言って良い程反応しなかった。
大司教と思われる男はごつい銃を机の上に置くと笑った。黒くてふかふかしてそうな椅子に深々と座り、机の上に両足をのせている。
――第一印象、かなり態度がデカイ。
茶の短い前髪は後ろへ立てられ、その渋い表情にくわえ煙草はかなり似合っていた――以前どこかで会った気もするのだが――服装は僧衣ではない。薄黄色のコートを羽織っていて、その下にはカッターシャツにジーパン……と、何故か大司教らしくない格好である。それに聖職者が煙草を吸う事は少ないのだが、彼は堂々と吸っていた。
「わりぃわりぃ。ちょっと試してみた」
悪戯がばれた子供のような表情で謝る大司教。ランスは深い溜息の後に一喝を入れた。
「ちょっと試してみた、じゃないですよ大司教様! お戯れが過ぎますよ!」
「ははっ! こまけぇ事気にすんなランス。とりあえず自己紹介だな」
椅子から立ち上がったその男はルーベンスの前にずんと立ち、握手を求めた。背は見上げなければいけない程高い。百九十センチをゆうに越えているだろう大男だ。
ルーベンスはその渋い表情を見上げながら手を差し出し、握手した。
「俺はゼブルの教会大司教をつとめるヴァイドだ。ヴァイド・ブラッズドウス。ヨロシク、小僧」
「僕は小僧じゃないよ。ルーベンスっ言うんだ。よろしく」
「そうか! 悪かった」
がははと豪快に笑いながら腕をぶんぶん振るヴァイド。彼の手から自分の手が解放された時、少年の腕は痛くなっていた。
「ところで何のようだ?」
ヴァイドが思い出したようにルーベンスに尋ねる。するとそこへランスがすかさず説明した。
「特務機関『セラフィム』からの派遣員が彼です。挨拶と思いまして」
「ああ、『セラフィム』のか!」
「まあ、さっきので挨拶は済んだよ」
ルーベンスはランスに苦笑しながら言う。すると突然、ヴァイドの机の上にある緊急時連絡用の電話が耳障りな音を立てながら鳴った。すぐさま受話器を取るヴァイド。
「どうした!」
『亡者が氷河の森に大量出現! 至急応援を求む! 至急応援を……う、うおわああぁぁっ!』
「……チッ!」
絶叫は受話器越しにルーベンス達にも聞こえてきた。ルーベンスは鋭い表情でランスを見た。
「氷河の森って言えばさっきの!」
「ええ、南の森です!」
ルーベンスとランスが顔を見合わせて確認する。ヘクセンはどうしたのだろうか。一瞬ルーベンスに不安が過ぎるが、彼女に限って一大事などありえない。彼女の強さを良く知っているから心配は無用だと心の中で頷いた。
ヴァイドは机の上の銃を取り、腰に差し込んだ。そして教会内に連絡の放送をかける為、壁に刺さっていた無線機に向かって叫ぶ――しかもデタラメに早口で。
「てめぇら、今連絡があった! 氷河の森にて亡者が大量出現! ただちに殲滅に向かうぞ! 1STクラスは最前列! その後ろに2ND! 3RDで隊列を組みやがれ! てめぇらに神の加護を! アーメン!」
「……でたらめな連絡放送だね」
ルーベンスは少し呆れながら呟く。するとヴァイドは少年には目もくれず、コートをひるがえし部屋の窓から飛び降りた。窓まで駆けつけたルーベンスは焦っていた。
「ちょ、ええ? 飛び降り自殺?」
「違いますよ。大司教の出動の仕方はあれなんです。時間の短縮にって」
ランスの表情を見れば分かった事だが毎度の事らしい、窓の下をのぞいて見ると、既にヴァイドは森の方面へ走り出していた。
「……やっぱりデタラメ」
「僕らも急ぎましょう」
「ああ」
二人は教会を後にする。町は静まり返っていた。亡者の出現を示すサイレンのけたたましい音が町全体に響き渡っていたからだ。これが聞こえたら亡者が出現した、ただちに家へ帰れ、と言う事らしい。どうやら他の神父達は準備に手間取っているらしい。その証拠に後ろからは誰も追いかけてこない。
「て……って言うか……ヴァイドさんの走るスピード早すぎじゃない?」
「大司教様はいつもああですから。全力疾走で現場に向かったんでしょう」
一体五十メートルを何秒で走れるのか。ルーベンスは無性にそれを測りたくなる衝動を抑え、走った。そしてポケットから携帯型の通信機を取り出した。ランスがそれを見て驚く。
「そ、それって最新型の通信機じゃないですか?」
「ああ、うん、まあね。色んなところをたらい回しに移動させられるんだから、これぐらいは貰っとかないと」
ルーベンスは笑う。そして通信機のボタンをピポパと押し、耳に近づけた。
「……もしもし、エリス? 僕! ルーベンス! 今大変なんだけど、アレ使ってもいいかな?」
何やら電話からガミガミと大声が聞こえる。あれが噂の上司だろうか。それを聞いてランスのエリスに対する恐怖心はますます増大するばかりであった。ルーベンスもまたごちゃごちゃ喋っている。いや、むしろ切実に叫んでいる。
何かの使用許可を求めているらしい。使ってもいいかと聞いている。そして森の中に入ったのと同時にルーベンスは通信機を懐にしまいこんだ。
「どうか、したんですか?」
「え? ああ、うん。まあね」
「……?」
何も話そうとしないルーベンスに少し疑問に思いながらも、走る事は止めないランス。二人は静かな森の静寂を打ち破る呻き声と銃声を聞いた。
「もう戦ってるみたいだね」
「ええ、急ぎましょう」
ルーベンスは懐から銀の拳銃を取り出した。弾倉に装填されている弾丸は十五発。僧衣の袖に隠してあるマガジンは二個。装填されているのをあわせると、計四十五発は撃てる。単純計算すれば、狙いがズレでもしない限り亡者を四十五匹は浄化出来る事になる。これならこの戦闘程度なら乗り切れそうだ。
「はぁ……後で弾丸買いに行かなきゃな」
「口径は?」
「十三ミリだけど?」
「それなら教会の倉庫に保管されていますよ。後で取ってきましょうか?」
「お……お金は?」
ランスは笑顔でいりませんと答えた。ルーベンスは無償の愛という物に感激し、感謝した。実はここまで来る為の列車代や食費等でお金が底をつきかけていたのだ。まさに貧乏に神の慈悲である。
「た、助かったぁ……」
「そろそろ戦闘現場ですよ」
ランスは腰に提げていた剣を鞘から抜く。それから数秒もしないうちに、無数の樹の向こうの方にヴァイドの背中が見えた。
「でああああああああああああ!」
雪国育ちだからこそ出来る芸当、雪の大地を蹴って高く跳ぶランス。ヴァイドの前方にいた亡者を、頭から足元まで一気に両断する。半分に裂かれた亡者の身体は灰になって雪の上に崩れ落ちた。崩れた亡者の後ろに隠れていたかのように飛び出てきたまた別の亡者。ランスに襲い掛かろうとするが、飛び掛かろうとした瞬間、頭蓋を打ち抜かれて灰となり、そして散った。
ヴァイドのごつごつした銃からは白い硝煙が上がっていた。ランスは振り向きながら礼を言う。
「助かりました。大司教様」
「いや、油断すんなよ! まだまだくるぜ!」
「はぁ……はぁ……」
やっとヴァイドのところまでやってきたルーベンス。相変わらず体力はなさそうである。
「ふう、追いついた」
「おうおう、休んでる暇なんざねぇぞ!」
今もなお銃を撃ち続けるヴァイド。やはり教会の関係者とあって『祝福』を施された弾丸を使っている。それに使っている得物をよく見ると、ごつごつしているのは分かるが妙に馬鹿でかい拳銃である。相当な重さと反動なのだろうが、彼は別に何ともなく使っている。腕力は人間のそれとは比べられないものらしい。
「だけどよぉ、気色悪い奴らだなぁ! 亡者ってぇのは」
「そ、そだね」
ルーベンスもわらわらと向かってくる亡者どもの心臓に標準をあわせ、銃爪を引き、撃ち抜いていく。
しかし、これだけ大量の亡者が出現したのは始めてみた。今まで戦ってきた中でも珍しく多い数である。何故亡者がこれだけ大量発生するのか、ルーベンスは少し考えをめぐらせてみた。
その途中、銀光放つ銃が大人しくなった。弾切れだ。すぐさま把握から弾倉を抜いて、服の袖から腕をつたってマガジンを手に握らせる。それをすぐさま把握に装填すると再び標準をつけて、トリガーを引く。
と、この一連の動作をしていて一つ脳裏である考えが閃いた。
「まさか……あいつ等か?」
あいつらとは『マリエル・リプシー』を殺害し、逃走した五人組である。
奴等も襲撃した教会から逃げる時に大量の亡者を従えていた。奴等がここに来ているというのなら、この亡者の大量出現も頷ける。
「……まさかね」
だが事件があったのは二年前。今更、世に出てきて何をしようというのか。五人組の目的が分からないルーベンスはあっさりその考えを流した。前方ではランスが剣でばっさばっさと亡者どもを薙ぎ倒している。そちらの方を先に集中しなければ、彼に流れ弾がいつ当たるとも分からないからだ。
「うーん……やっぱりヘクセンと戦うのが一番合うなぁ……」
愚痴を言っているとまた銃が黙り込んむ。弾切れだ。銃と言うのは弾丸が必要になるから面倒臭い。銃使いの宿命ともいえる問題である。ルーベンスは最後の弾倉を銃身に装填する。そして再び亡者を睨んだその瞬間、亡者の群れの後ろで何かが光った。『ソレ』の狙いは前で戦っているランス。ぞっとした想像がルーベンスを一瞬のうちに襲った。
――気が付けばルーベンスは走っていた。
「危ない! ランス!」
「……え?」
ランスは呼ばれてふと振り向く。ルーベンスが必死で走ってくる。
――何故だろう? こちらは別に不利と言う訳ではないのに。
どんっ、と背後から鈍い衝撃がランスを襲う。握っていた剣が自然に掌から離れていった。全身の力が一瞬で抜けていくような感覚に、ランスは何が起こっているのか困惑していた。
――それはランスの背中を打ち抜き、胸から突き抜けていた。
本当に何が起こったのか、ランス自身には分かっていなかった。だが、崩れ落ちる自分をみてルーベンスが何かを必死に叫んでいた。大量の真っ赤な液体が胸を染めている。
――自分の名前? なぜ? なぜ自分の視界が白くなっていくのだろうか?
その直後、ランスは自分の視界が真っ暗になっていくのをはっきりと確信した。その頃には既に雪の中へと顔から倒れこんでいた。
「ランス……! 誰だ!」
ヴァイドは弾倉を交換しながら憎しみのこもった声で叫ぶ。ゆらゆらと頼りなく揺れる大量の亡者どもの後ろに一人の人間が居るのが確かに見えた。
――誰だ? あんなところにいるのは?
倒れこんだランスのそばまで駆けつけたルーベンスは涙目でその名を呼んだ。
「ランスっ! しっかりしてくれ!」
ゆっくりとランスを抱き起こすルーベンス。少年は既に虫の息だった。肺をやられたのだろうか? もう意識もほとんど擦れているらしい。小刻みに震える唇と呼吸音が痛々しくルーベンスに無力感を与えた。
「うぅ……ルーベンス……さん?」
「しっかりしろっ……クソ! 出血が……」
ランスの胸からは既に大量の鮮血が流れていた。これではじきに大量出血で死んでしまう。ルーベンスは必死でランスの身体を揺さぶる。だがランスの目は既に何か遠い所を見ているような、虚ろな瞳をしていた。震える唇から絞り出されるような声がする。
「なんだか、寒いですね……今までこんなの……感じたことなかったのに……」
「ねぇ! しっかりするんだランス!」
「ちょい退き!」
ルーベンスを突き飛ばしてランスを抱えたのはライザだった。ランスはライザの顔を見て笑った。
「全く……君はまた……迷ってたのかい? 僕が居なくちゃ道も分からな……ゴホッ……ゴフッ……!」
鮮血を吐き出したランス。ライザは自分の手の甲にかかった真っ赤なソレを見て歯を食いしばりながら相棒を抑える。
「喋るな! もう……喋るな……」
「僕どうなったの……? 何も見えない……何も見えないんだよライザ」
――視力が……?
ライザの予想通り、ランスの瞳からは既に光が失われていた。恐らく目が見えていないのだろう。ランスの体温はどんどん低くなっている。唇の震えも少なくなり、呼吸の幅も長くなっている。
――それは既に手遅れだと言う事を表していた。
「しっかりせい……ランス!」
「……はは、僕なら……だいじょう……ぶ……」
ランスの力はそこで失われ、虚しく手の甲が雪の上に落ちた。
苦しそうな微笑みだけがそこには残っていた。後は何も無い、呼吸も止まり、あれだけ震えていた唇も、手も、瞳も、何もかもが人形の様に凍りついていた。
――男の嗚咽が聞こえてきた。
冷たくなった相棒に向かって、二度と目を覚ます事の無い相棒へ。初めてできた相棒だった。悲しみはより深い、赤の他人が死ぬより、とてもとても辛い。涙が溢れる。視界が覆い尽くされて何も見えない。
ただ呆然と立ち尽くしていたルーベンスは、雪を掴んだ。真っ白な雪を。力強く、そして何も出来なかった自分に憎しみを込めて。
瞳は鮮やかな暁の色へと染まっていく。
そして少年は呟き始めていた。我が身の呪われた呪文を――
「ミディアンズ二十パーセント活性化開始、戦闘モードにて起動――!」
「な、なんでぇ!」
ルーベンスの体が突如閃光を放つ。そのあまりの眩しさに一行は目を閉じた。
目を開いた次の瞬間、ルーベンスは見違える程――そう、大きくなっていた。幼さは消え、大人っぽい表情。体格は肉体を鍛えた成人男性のそれを思わせ、金色の長髪に瞳は血のように赤く染まり、亡者どもを鋭い眼光で睨みつける。
「哀れな亡者達、お前達にもう逃げ場は無い。聖母セラフィムの加護のもとに、AMEN」
男……ルーベンスは祝福の言葉を呟きながら亡者の群れに飛び込んだ。その長く伸びた爪で首を切り裂き、常人では考えられない怪力で彼等の胴体を引きちぎる。次々と屍の兵士を殴り、蹴り、切り裂き、引きちぎる。返り血すら浴びても動じない。ただただ亡者どもをその圧倒的な力で薙ぎ払った。
まさに彼の姿は鬼を思わせた。ただ目の前にいる敵を殲滅するために荒れ狂う化け物のソレだ。悲しみを帯びた彼の表情は、その戦い振りとは釣り合っていない。ヴァイドはルーベンスの戦い振りを見ながら驚愕の息をついた。
「す、スゲェぜ……こいつは」
「な、何なんやアイツは……」
ルーベンスは最後の一匹……屍の兵士の顔面をその拳で吹き飛ばす。灰へと還る屍を見つめながら瞳には怒りを宿らせていた。見つめる先は、森の更に奥。
「……でてこい。キサマがそこに居るのは分かっている」
木々の陰に向かって怒りと憎しみのこもった声で言うルーベンス。ライザとヴァイドも木々の先に存在するものを凝視する。そして、雪を踏みながら静かに現れたのは一人の女だった。
「つまんないの。流石よね。ルーベンス」
「……貴様」
――ルーベンスは彼女の顔を知っていた。
マリエル・リプシーを殺害した五人組の1人である『エリエル・ドルセン』
――悪魔に魂を売った堕ちた人間の一人である。
「でもサスガ、ルーベンスよね。アタシの居場所まで見抜いちゃうなんて」
「ふざけるな……これだけの亡者、どうやって連れてきた」
「あれぇ? キミは分かってるハズだけどねぇ? 亡者がどのようにして"創られて"いて、どこから来ているかを」
ルーベンスの表情が曇った。図星だ。自分は亡者がどこから来てどこへ還るのかを知っている。あれは呪われた所業。マリエルが死んだ原因だった。
「やはり……そうなのか……」
「どう言う事なんや! ハッキリさせい!」
苛立ちを隠せないライザがルーベンスに問う。
「亡者は……ヒューマン、人間の死体に魔力を込めて創っているんだ……つまり……」
「死者に対する……冒涜やんけ……!」
「キャハハ! 教会のヒューマンにとっては苦しい話よねぇ!」
死者の安らぎを踏みにじる行為。それを教会関係者が許すはずが無い。つまり、教会にはそれを黙認する存在が確かに実在すると言う事実を証明している事になる。
ライザはどこにぶつけて良いのか分からない激情を込めた短銃を、エリエルに向ける。
「貴様!」
「無駄無駄」
握り締めた銃、そして銃口から五発の弾丸が立て続けに発射される。しかしエリエルに銃弾が命中するかと思いきや、銃弾は空中で虚しく何かに弾かれ、雪の上に落ちた。ライザは肩透かしを食らったみたいに、唖然とした。
「何……?」
「障壁か……!」
ルーベンスには銃弾を防いだものの正体が分かっていた。障壁と呼ばれる視認出来ない魔力の盾である。それは亡者でも上層階級の者が使う、一般的な防御術であった。
「キャハハ! 以前のアタシだと思わないでねルーベンス! 今日はほんの宣戦布告できたのよ。三日後、ゼブルは世界の地図の上から消える事になるの。せいぜい、哀れなヒューマンどもを守ってねルーベンス! それじゃアタシはこの辺で」
エリエルは悪戯な笑みを残しつつ吹雪をまとって一行の前から一瞬で消え去った。ライザはその後を追おうとするが、ルーベンスが膝をつき血を吐いたのを見て、すぐさま駆けつけた。
「クソ、限界か」
「おいおい、大丈夫かいな!」
「大丈夫か!」
遅れて呆然と立っていたヴァイドが駆けつける。青年はそっと腕を上げ自分が大丈夫な事を証明する。その悲しみに満ちた暁の瞳は、苦しそうな微笑みを残す友人へと向けられていた。
「ランス……」
ヴァイドが再度確認するが、既に心臓の鼓動も聞こえないし、息もしていない。彼は、文字通り『死んでしまった』のだ。首を横に振るヴァイドを見てルーベンスはその目から大粒の涙を流した。真っ白な雪に、血に染まったその腕を叩きつける。
「……クソ!」
ルーベンスの体が見る見るうちに縮んでいく。ライザはその様子を呆然と見ていた。
「あ、あんさんは一体……?」
完全に元の子供のような、幼い姿に戻ったルーベンスはとても悲しそうな表情で呟く。そして別れとも言える祈りの言葉を捧げた。
「主よ、あなたの大切な命がまた一つ失われました。願わくば彼の魂に永遠の安らぎを……AMRN」
「お前……」
ライザは胸の前で十字をきり、腕を組んで祈る神父の姿をただ呆気にとられたように見ていた。祈り終わったのか、ルーベンスは相変わらず悲しげな表情を浮かべたままランスを見つめている。しかし静かに投げかけられた言葉はライザに対するものであった。
「とにかく、ランスを町に運ぼう」
「あ、ああ。そうやな」
「俺が背負うぜ」
ヴァイドはランスの冷たくなった身体を背負った。その体はとても軽かった。
その後、遅れながらも到着した教会の騎士達はランスの死を酷く悲しんだ。彼は、それほど優しく、頼りにもされ、教会に必要だった男なのだ。
そして、ルーベンスは今日の事を忘れる事は無いだろう。
『マリエル』の時と一緒だったのだ。
最後まで果敢に亡者と戦い、死んでいった彼女と同じ死に方をしたのだ。
棺に入った彼は、教会の神父やシスターに見守られ、森の奥に埋められた。聖なる領域とされるその場所は、今までに亡者との戦いで命を落としていった勇者達の石碑がずらりと並んでいた。葬儀は通常のソレより重く沈んだ空気で行われた。その儀式の中、最初から最後までライザの姿は無かった気がする。彼を天国まで送り届ける聖歌が、氷河の森に響き渡った。以前聞いたのとは違い、重々しく、悲しい響き。嗚咽をあげながら歌うシスター達。
ルーベンスはその歌を遠くに聞きながら町のベンチに座っていた。ただ、噴水の音すらかき消す歌声を心に刻みながら。ここは彼と最初に出会った場所だ。ワッフルと少年の微笑みの温かみがまだ微かに残っている。ランスの慈愛に満ちた表情を思い出しながら、ルーベンスは首から提げていた銀の十字架を指で触れる。短い時間だった。でも友達になれた、親切にしてくれた。それだけでルーベンスの心には彼と言う存在が住み着いていた。
すると目の前に漆黒の狩人、ヘクセンが静かに舞い降りた。悲しみを察してか、主の顔は見ようとしていない。
「ヘクセンか。どうだった?」
まるで身内が死んでしまったかのような重い表情を上げ、ルーベンスは従士に問い掛けた。ヘクセンは静かに返答する。
「奴等の居場所が分かったわ。氷河の森をさらに南へ、そこに小さな洞窟があるの」
「……そうか」
ルーベンスは呟き、そして空を見上げる。既に空は暗く、小さく点々と光る星を宿している。ひんやりとした空気を吸い込み、白い息を長く一つ吐く。月光に顔を照らされながら、ルーベンスは拳に力を込めた。一度ならず、二度までも奪われた。取り返すには、こちらから踊り出るしかない。
「こう言う場合は……許可なしでも良いよね」
従士の背中に問い掛ける。肯定がえられなくても、使うつもりだ。だが、その意思を察したように、ヘクセンは背中を向けたまま頷いた。
「緊急時による"ミディアンズ"の解放は許可されているわ」
その答えに少し微笑みを取り戻し、ルーベンスは正面をきっと鋭い目つきで睨みつけた。まるで遠くにある何かに宣戦布告するように。
「行こう、ヘクセン。三日後、ここを戦場になんてさせちゃいけない」
ルーベンスはベンチから立ち上がり、噴水と聖歌を後に氷河の森へと再び歩み始めた。
『MONSTER』 END